2021年6月13日「夜は更け、日は近づいた」

聖書:ローマの信徒への手紙13:8~14
説教題:夜は更け、日は近づいた

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「夜は更け、日は近づいた」、この12節の御言葉から今日の説教題をつけました。今日の聖書の御言葉は説教塾という牧師の学びのグループで去年の秋から読んできました。その間、何度か話題に上ったのは香港の教会のことです。19年には逃亡犯条例が改正され、20年には香港国家安全維持法が施行されました。香港にある私たちの姉妹教会の牧師にも、香港を脱出せざるを得なくなった人がいます。夜は更けている。闇の深さをここに見ないわけにはいかない。香港社会では自由が殺されています。信教の自由も、ますます厳しくなっていくと思われます。

聖書は「夜は更け、日は近づいた」と言っています。考えてみれば不思議な言葉です。普通、夜が更けて近づくのは「朝」です。もうすぐ夜明けがくると言って励ますのが普通です。しかしここでは夜が更けている、そして日、つまり昼間が近づいている、と言っている。自然現象になぞらえて励ましているわけではないようです。夜は更け、同時に昼が近づいている。日、昼、それは救いの時です。キリストが来られる時です。キリストが来て私たちを救う時が今や近づいている。救いの時はここまでもう来ている。

香港の民主化運動の中心的人物の一人は、昨年仲間たちが次々に逮捕されてく中で、SNSに聖書の言葉を投稿していたようです。「主は羊飼い、私は何も欠けることがない。…死の谷の陰を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる。」更に自身の収監直前には「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と。彼の母も「希望をもって喜び、苦難に耐え忍び、たゆまず祈りなさい」という聖書の言葉によって彼を励ましました。今、来てくださっているキリストの前にいきているのです。そこには希望があります。夜の闇が深まる中でも絶望しません。そしてもう一つ、彼らは「日中を歩むように、品位をもって(13節)」歩んでいます。キリストという光に照らされた昼間には、昼間らしい生き方があります。「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。」酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみ。これらは全部人間関係を壊したり、他人を傷つけたりするものです。キリストを着る者は別の姿で生きはじめます。9節に、キリストを身にまとう生き方を「隣人を自分のように愛しなさい」と言い表している。この時代の暗闇がどんなに深く、濃く、絶望的でも、望みをもって隣人を愛する。キリストを装いとして。

少しずつワクチンが出回りはじめました。数ヶ月すれば状況は変わってくるのかもしれません。しかしそれで「やれやれ良かった」「元に戻ろう」と言っていいのでしょうか?本当の問題をごまかすことになりはしないのか。この一年数ヶ月に徹底的に浮き彫りになったのは、私たちの愛が冷え切っていたという事実です。隣人を愛するというのは、誰か好きな人を愛するということではありません。隣人は神が私に与える人です。さらに愛するとは「愛してあげる」ことではありません。愛に上から目線はあり得ない。愛は私たちにとっては返しきれない負債です。私たちは愛することによって、キリストが無限に愛してくださったことにほんの僅かにお返しをする。私たちは永遠に返済し終わらない借りを喜んで返します。それがキリストを着、日の光の中に生きることなのです。

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