2024年7月14日「砕かれた瓶」
聖書:エレミヤ書19:1~13
説教題:砕かれた瓶
音声
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今日のところを読んで、どのように思われるでしょうか?例えば6から9節はかなり厳しい裁きの言葉が語られています。「私は…打ち砕く」「私は彼らに自分の息子や娘の肉を食べさせ、互いに隣人の肉を食べさせる」など、目を覆いたくなるほど厳しい裁きが宣告されている。
話は変わりますが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本を最近読みました。明治から現代に至るまでの労働者たちの読書をひもときながら、なぜ働いていると本が読めなくなるのかという多くの人が抱いている疑問を解き明かした一冊です。詳細はぜひお読みください。この本で興味深いことが指摘されていました。現代人にとって、読書はノイズだというのです。現代人は本は読まないがスマホのゲームをしたりSNSを眺めたりする時間はある。自己啓発本もそれなりに売れている。それでは自己啓発本以外の読書と、ゲームやSNS、啓発本は何が違うのか。その他の読書はノイズに溢れている。別に知りたいわけでもない歴史や事情を考えさせ、「無駄」と思える情報がたくさんある。しかし自己啓発本には必要な情報だけが厳選されて提供されている。ノイズの有無が大きな違いだ、というのです。とても興味深い指摘です。
3節に「これを聞く者は皆、耳鳴りを起こす」とあります。この表現は、聖書では裁きの宣告とセットで使われています。神の裁きは究極のノイズです。聞きたくない言葉の代表です。しかし、その言葉が語れると私たちは耳鳴りがする。うるさくて無視できない。携帯電話から鳴る地震警報のように耳について離れなくなってしまう。しかし携帯の警告音も何度も重なると慣れてしまうように、私たちはもしかしたら神からの警告、裁きの言葉に次第に慣れ、受け流すことに長けてしまっているのかもしれません。そんな私たちのために神さまは預言者エレミヤに奇妙な命令を下します。土瓶を人々の前で粉々に砕け、と言うのです。エルサレムの人々は砕けた瓶のように取り返しのつかないほどに損なわれていると訴えかけたのです。
私たちの生き方が、私たちの作ってきた社会が、私たち自身とこの社会に生きる人びとを損なっている。今日のところに何度も「トフェト」や「ベン・ヒノムの谷」という地名が出てきます。同じ場所のことです。かつてベン・ヒノムにはユダヤ人たちがモレク神という異教の神の祭壇を作っていました。この場所で、彼らは自分たちの子どもをモレク神への人身御供として火で焼いて献げていたのです。ユダ国のヨシヤ王がベン・ヒノムの祭壇を破壊してこの蛮行をやめさせた。後にベン・ヒノムは死体の火葬場になりました。そして、この「ベン・ヒノム」という地名が語源になって、後に「ゲヘナ」という言葉が生まれたそうです。地獄を意味する言葉です。自分のために子どもや隣人を犠牲にして厭わない私たちの罪がゲヘナそのものではないでしょうか。
エレミヤが瓶を砕くように、私たちの前にも私たちのあり方を問う「ノイズ」は鳴っているのではないでしょうか。例えば、アフガニスタンで活動した医師の中村哲さんは、富と繁栄を楽しむ日本社会に、2001年から始まった対テロ戦争は一体何を守ろうとする戦争なのかと問います。日本社会は人としてしてはならないことをしていないか。自分たちの都合や不安解消のために、自由と民主主義という合言葉を便利に使って失ってはならない誇りを捨てていないか。
中村さんがおられたアフガニスタンは地獄のような状況でした。私たちが追いやった地獄です。本当は隣人であるはずの人びとを地獄に追いやる私たちの周りにもベン・ヒノムが広がっているのではないでしょうか。キリストが来られたのは、この罪のただ中なのです。
説教題:砕かれた瓶
音声
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今日のところを読んで、どのように思われるでしょうか?例えば6から9節はかなり厳しい裁きの言葉が語られています。「私は…打ち砕く」「私は彼らに自分の息子や娘の肉を食べさせ、互いに隣人の肉を食べさせる」など、目を覆いたくなるほど厳しい裁きが宣告されている。
話は変わりますが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本を最近読みました。明治から現代に至るまでの労働者たちの読書をひもときながら、なぜ働いていると本が読めなくなるのかという多くの人が抱いている疑問を解き明かした一冊です。詳細はぜひお読みください。この本で興味深いことが指摘されていました。現代人にとって、読書はノイズだというのです。現代人は本は読まないがスマホのゲームをしたりSNSを眺めたりする時間はある。自己啓発本もそれなりに売れている。それでは自己啓発本以外の読書と、ゲームやSNS、啓発本は何が違うのか。その他の読書はノイズに溢れている。別に知りたいわけでもない歴史や事情を考えさせ、「無駄」と思える情報がたくさんある。しかし自己啓発本には必要な情報だけが厳選されて提供されている。ノイズの有無が大きな違いだ、というのです。とても興味深い指摘です。
3節に「これを聞く者は皆、耳鳴りを起こす」とあります。この表現は、聖書では裁きの宣告とセットで使われています。神の裁きは究極のノイズです。聞きたくない言葉の代表です。しかし、その言葉が語れると私たちは耳鳴りがする。うるさくて無視できない。携帯電話から鳴る地震警報のように耳について離れなくなってしまう。しかし携帯の警告音も何度も重なると慣れてしまうように、私たちはもしかしたら神からの警告、裁きの言葉に次第に慣れ、受け流すことに長けてしまっているのかもしれません。そんな私たちのために神さまは預言者エレミヤに奇妙な命令を下します。土瓶を人々の前で粉々に砕け、と言うのです。エルサレムの人々は砕けた瓶のように取り返しのつかないほどに損なわれていると訴えかけたのです。
私たちの生き方が、私たちの作ってきた社会が、私たち自身とこの社会に生きる人びとを損なっている。今日のところに何度も「トフェト」や「ベン・ヒノムの谷」という地名が出てきます。同じ場所のことです。かつてベン・ヒノムにはユダヤ人たちがモレク神という異教の神の祭壇を作っていました。この場所で、彼らは自分たちの子どもをモレク神への人身御供として火で焼いて献げていたのです。ユダ国のヨシヤ王がベン・ヒノムの祭壇を破壊してこの蛮行をやめさせた。後にベン・ヒノムは死体の火葬場になりました。そして、この「ベン・ヒノム」という地名が語源になって、後に「ゲヘナ」という言葉が生まれたそうです。地獄を意味する言葉です。自分のために子どもや隣人を犠牲にして厭わない私たちの罪がゲヘナそのものではないでしょうか。
エレミヤが瓶を砕くように、私たちの前にも私たちのあり方を問う「ノイズ」は鳴っているのではないでしょうか。例えば、アフガニスタンで活動した医師の中村哲さんは、富と繁栄を楽しむ日本社会に、2001年から始まった対テロ戦争は一体何を守ろうとする戦争なのかと問います。日本社会は人としてしてはならないことをしていないか。自分たちの都合や不安解消のために、自由と民主主義という合言葉を便利に使って失ってはならない誇りを捨てていないか。
中村さんがおられたアフガニスタンは地獄のような状況でした。私たちが追いやった地獄です。本当は隣人であるはずの人びとを地獄に追いやる私たちの周りにもベン・ヒノムが広がっているのではないでしょうか。キリストが来られたのは、この罪のただ中なのです。
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