2024年6月3日「かぐわしき香りの満ちるところ」

聖書:フィリピの信徒への手紙4:14〜18
説教題:かぐわしき香りの満ちるところ

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パウロが迫害の中で投獄されて、その獄中からフィリピ教会へ宛てて書いた手紙を少しずつ読んできました。手紙も最終盤になっています。最後の挨拶の言葉とも言えるところに来ました。その中でも私にとってもっとも印象的なのが18節です。「私はあらゆるものを受けており、有り余るほどです」と言っています。牢獄にいる人の言葉とは思えない。およそ獄中ということからもっとも遠い言葉です。この言葉がやせ我慢でないのだとしたら、どうしてこのようなことを言えるのか?パウロは13節のところで既にこう言っていました。「私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。」私を強めてくださる方というのは、キリスト以外には考えられない。牢獄の中で実際には乏しいし、不自由だし、苦しいけれど、キリストが私を強くしてくださるから生きていかれる。そう言うのです。

私の神学校時代の友人の牧師が、今、石川県小松市にある小松教会で牧師として仕えています。能登半島地震で被災した教会のために尽力していました。小松教会のホームページに、1月1日の地震で会堂が倒壊した輪島教会の様子が書かれていました。1月7日に牧師と数名の信徒が避難所の廊下で共に詩編第46編2から4節を読んでを読んで祈ったのだそうです。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」そして、十字架にかけられたキリストの恵みを信じ、被災者のための慰めを祈る言葉が添えられていました。私は、この方たちは能登の地でパウロと同じ信仰に生きていると思います。

キリストが私を強めてくださるという事実を、パウロは具体的な人との出会いを通して経験しました。それはここに名前が挙げられているエパフロディトであり、彼をパウロのもとへ送ったフィリピ教会との出会いや関わりです。

エパフロディトはかつてフィリピ教会から獄中のパウロのもとへ遣わされて来た。パウロへの援助の品を持参し、彼の世話をするためです。ところがパウロのところに滞在している内にエパフロディトは病気になり瀕死の重体になってしまいました。パウロの世話をするはずが逆に世話になってしまった。しかし、パウロはそんなエパフロディトが側にいてくれることがかけがえのない慰めだったようです。キリストにあってこの一人の友の存在をかけがえなく思っていました。だからこそ、彼はエパフロディトと彼が持参したフィリピ教会からの贈り物を「かぐわしい香りであり、神が喜んで受け入れてくださいます」と言っている。エパフロディトをキリストにあって愛していたから生まれてきた言葉なのではないでしょうか。

パウロがエパフロディトという一人の友を通して、「私を強めてくださるキリスト」の恵みをより深く知った秘訣は、14節にあります。「あなたがたは、よく私の苦しみを共にしてくれました。」この「共にする」という言葉を、パウロはとても大事にしています。この手紙では既に第1章7節に登場していました。「獄中にいるときも…あなたがた一同を、共に恵みにあずかるものと思って心に留めている」。共に恵みにあずかる。元になっているのはコイノーニアという言葉です。一つのものを共有するところに生まれる交わりを指します。私たちは神の恵みに共に与るコイノーニア。だからこそ、キリストにあって苦しみをも共にするコイノーニア。キリストの教会の姿がここに見えています。

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