2024年5月5日「平和の神はあなたがたと共に!」

聖書:フィリピの信徒への手紙4:8〜9
説教題:平和の神はあなたがたと共に!

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フィリピの信徒への手紙を、神が与えてくださった御言葉と信じ、耳を傾けています。使徒パウロがフィリピの町に生きる教会に書き送った手紙です。かつてパウロはなぜこの町を訪れたのか。その経緯は使徒言行録16:6〜10に詳しく伝えています。当初パウロは別の場所に行こうとしていました。アジア州に行って伝道しようと計画しましたが、それは「聖霊から禁じられた」。そこでビティニア州に入ろうとしたが「イエスの霊がそれを許さなかった」。新しい伝道の計画が次々に失敗した。パウロはその夜幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください」とパウロに懇願している。そこですぐに一行はマケドニア州へ行って福音を告げ知らせるために船に乗りました。その最初に到着した場所が、マケドニア州の都市フィリピだったのです。

先週まで米国からお客様が来ていました。予定されていた集会の合間に、明治にカンバーランドの宣教師として日本に来たヘール兄弟の足跡を訪ねて、大阪女学院に行かれました。ヘール先生もパウロと同じように福音を携えて海を渡って来ました。マケドニア人ならぬ日本人の叫びを幻の内に聞いたに違いない。私たちにはキリストの福音が必要です。

今日与えられている御言葉は、パウロのフィリピへ渡った経緯を考えるととても興味深いです。「なお、きょうだいたち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。(8節)」ここには8つの倫理的な奨めがあります。パウロの書いた手紙には最後の方に倫理的な奨めがよく出てきます。別の手紙と読み比べてみると、フィリピの信徒への手紙の上記の奨めは特徴的です。ほかの手紙では同じような内容の奨めが出てきますが、この手紙だけは別の手紙と内容的にあまり重なっていないのです。その代わりこれらの奨めはギリシア哲学の倫理に登場する言葉ばかりなのだそうです。つまり、聖書の他の箇所にはあまり出てこないけれど、聖書の外の世界でよく語られた奨めがここに登場している、というのです。

私はこれはとても大事なことを示唆していると思います。主イエスの福音がマケドニア人や日本人に届けられたとき、それまでのマケドニア人や日本人としての倫理を捨てろという宣教ではなかった、ということではないでしょうか。あなたたちのかつての倫理は邪で捨てるべきものだ、とは聖書は言っていないのです。更に言えば、先ほどの8節では、いちいち「すべて○○なこと」と、「すべて」という言葉がくっついています。神を信じるものは、この世の倫理をほかの人よりももっと確かに生きるのだ、ということではないでしょうか。私たちは神を信じて浮世離れするのではなくて、むしろより善く浮世を生きる。

パウロが伝道したフィリピも、今の日本も同じだと思います。この世は、むしろ真実なことや尊いこと、正しいこと…などを理想として掲げてはいても、実際には軽んじ、蔑ろにしています。しかし私たちはそういう理想をバカにせず、むしろしっかりとそこに生きる。それは、私たちがキリストを愛しているからです。キリストへの愛が私たちの生き方を方向付け、この世にあって隣人を愛するものへと造り替えてくださるのです。

「私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられます。(9節)」私たちは、先達からキリストへの愛を学びました。私たちと共にいてくださる平和の神を愛し、私たちはこの時を生きています。

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