2024年2月18日「信仰の分岐点」

聖書:申命記8:2~3
ルカによる福音書4:1~13
説教題:信仰の分岐点

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イエス様が30歳になられた頃、洗礼をお受けになり荒れ野で試練を受けました。この時から3年間イエス様の「公生涯」とよばれる宣教の働きが始まります。「洗礼」と「試みを受ける」ことによって、それまでの人生とはまったく違う働きが始まったのです。「霊によって・・導かれ」とあります。自身の意思ではなく霊によって導かれたのです。普通の人間の生活をしていたイエス様を、父なる神様は公生涯の働きに引き出されたのです。その働きのために荒れ野での試練が必要でした。「四十日間、悪魔から試みを受けられた」のですが、父なる神様が悪魔を用いて「試みた」のです。私たちが受ける試練も同じで試練を通して神様との関係が整えられていくのです。

3つの試みが始まりました「おまえは神の子だろう。腹がへったらそこの石をパンに変えて食べればどうだ」という、神ではなく自分の力によって解決してみたらどうだという誘惑でした。イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という言葉を用いた。次に悪魔は世界のすべての国々を見せたて、全部あなたのものになると言い、神との関係を壊そうとしました。しかし、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とのみ言葉を用いて、神だけを礼拝すると答えました。最後に「神殿の端から飛び降りて、御使いに守られるところを見せてみろ」と人から称賛を受けよとの誘惑です。「あなたの神である主を試してはならない」と徹底して神様の御心に従うことを選び取ったのです。荒れ野で悪魔と対峙したイエス様は、すべて旧約聖書の御言葉を引用しました。父なる神様の言葉だけを信頼して3年間の公生涯を始められたのです。

かつて尾瀬に行ったのですが、尾瀬には中央分水嶺の境があるのです。尾瀬の稜線にふりそそいだ雨は、僅かな差で違うゴールに向かって行くことになる。行く先を決めるのは最初が肝心です。イエス様は、荒れ野で試練をお受けになりました。それは3年におよぶ公生涯の行き先を決める信仰の分水嶺だったのです。イエス様は父なる神のご計画を実現するためにこの世に遣わされましたが、人としての30年を経て、信仰の分水嶺である荒れ野で、「自分中心で生きていいのだよ」という誘惑を退けて、その後3年間の公生涯を生き抜かれたのです。では私たちの信仰は間違った方へ行ってしまったら取返しがつかないのでしょうか。川の流れでしたらそうですが神様は違います。そのためにイエス様が来られて、神様は私たちを日々信仰の分水嶺に置いてくださいます。私たちの立つべき位置を日々見極めていきましょう。

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