2024年2月4日「キリストとその復活の力」

聖書:フィリピの信徒への手紙3:10~11
説教題:キリストとその復活の力

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今日2月4日はカンバーランド長老教会の記念日です。1810年2月4日、米国テネシー州ディクソンにある小さな丸太小屋でマカドウ、ユーイング、キングという三人の牧師たちが祈り、新しい教会が出発していきました。実は今年、牧師たちがこの時の出来事を劇にして演じる予定です。この劇では、マカドウ牧師はとても頼りなく、情けない人物像に面白おかしく描かれています。(歴史の実態は私には分かりません。)当時の教会の混乱や争いに嫌気がさし、半ば隠居生活をしていた。そこに仲間の牧師たちが押しかけて共に祈り…。その続きは、ぜひ4月29日に開催されるカンバーランド・セレブレーションにいらしてご覧になってください。乞うご期待。

ある説教者がこのようなことを言っていました。「復活ということはまず第一に死を爆破したことでしょう。」死、そして人間を奴隷にする罪の力を、キリストの復活の力が爆破した。今日の聖書にの中に「キリストとその復活の力」とあります。「力」はギリシア語ではデュナミスと言いますが、アルフレッド・ノーベルはこの言葉を語源として自分が発明した爆薬を「ダイナマイト」と命名したそうです。まさにダイナマイトのように、キリストの復活の力が死や罪を爆破した。その力がマカドウをもう一度立たせました。私たちを支配する死の力を、罪の力を、キリストの復活の力が粉砕した。だから、私たちは新しくなれる。新しい力を得て再びキリストを見上げて生きることができる。

2月1日はさがみ野教会の前身である栗原伝道所が初めての礼拝を献げた日です。最初の礼拝は濵崎孝先生とそのご家族、3名で献げられたそうです。キリストと復活の力を知って、この御方に生かされる信仰共同体がこの地に始まった。その意味は私たちが考えている以上に大きいと信じます。キリストとその復活の力がこの私を生かし、新しくしてくださる。そう信じる共同体がこの地にある。その意味は大きい。私はそう信じている。

「私は、キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら…」とあります。すごく面白いところだと思います。まず、順番が面白い。復活、苦しみ、死と続きます。しかし、不自然な並び順のような気もします。むしろ、苦しみ、死、復活というのが普通の順序ではないでしょうか。しかし不自然に並んでいるということは、意図してそうなっているに違いない。この順序でなければいけないと考えたはずです。つまり、キリストの復活の力から始まって、そこからキリストの苦しみを見つめ直し、キリストの死を見つめ直している。だから、キリストの復活の力にあずかる者は、キリストをまねて、私のために苦しんでくださったキリストの苦しみにあずかり、私のためのキリストの死の姿にあやかりたいと願うはずだ、と訴えているのではないでしょうか。私の尊敬するボンヘッファー先生は言います。「このような共同体にこの世のどの場所が残されているのか。」私たち教会はこの世の一体どこに生きるのか。それに対してこう答えます。「共同体はただひとつの場所、すなわちほかの誰よりもいちばん貧しくいちばん試みを受け、いちばん柔和な人が見出される場所、つまりゴルゴタの十字架という場所がある。」

「その苦しみにあずかって」は、そのまま訳すと「彼の苦しみのコイノーニア」と書かれています。コイノーニアは「交わり」を意味する。キリストの苦しみのコイノーニア、それが教会です。私たちはキリストの復活の力に与り、キリストの苦しみの交わりに生きる。キリストの示してくださった愛に生き、痛む人と共に生きていくのです。

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