2024年1月21日「子とされた恵み」
聖書:出エジプト記2:1〜10
ローマの信徒への手紙8:12〜17
説教題:子とされた恵み
音声
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
動画
出エジプト記に登場するモーセは、ナイル川の岸辺でエジプトの王女に見つけられました。王女は「この子はヘブライ人の子です」と一目見て言いました。王女が「不憫に思った」と書かれています。自分と同じエジプト人の子どもだから助けたのではなく、ヘブライ人の子であるにもかかわらず「不憫に思った」のです。まさにエジプトでは奴隷であったヘブライ人の子どもであるがゆえに「不憫」だったのです。王女は、この子が自分の父親であるファラオの政策による犠牲者であることを知っていたでしょう。彼女は手当を出して育てるように命じ、モーセが成長すると王宮に引き取り「その子はファラオの娘の息子となった」。つまり、モーセは皇室の養子という恵まれた環境の中で成人していくのです。
今日の聖書箇所、ローマ書8章には「あなたがたは・・・子としてくださる霊を受けたのです」(15節)とあります。原語のギリシャ語では「養子」と書かれています、英語では”adoption”です。ですからパウロは、神の養子としてくださる霊を私たちは受けたのだと言うのです。当時のローマ法の社会において養子は親の財産を受け継ぐことができる権利がありました。つまりアブラハムの子孫に与えられるという祝福を相続する権利が神の養子にもあるのです。神の独り子イエス様を長男として、私たちは養子とされました。余すことなく神様の祝福に与ります。長男のイエス様が復活されたように、やがて私たちも復活の体を得ることができます。日本は養子縁組や里親の引き取り手が少ない養子後進国ですが、私たちクリスチャンは霊的に神様の養子にされました恵みを知っています。霊的な孤児で「不憫」であった者が養子にされたことで、神の家族という温かい交わりの中で生きています。自分が神の子とされて恵まれたのだから、私も親のいない子どもを養子に迎える。これがキリスト教世界観によって培われた欧米社会にあるようです。私の子になって欲しい、一人でも多くの人を、私の子として神の家族を築いていきたい。それが神様の御心だと覚えていきたいと思います。
ローマの信徒への手紙8:12〜17
説教題:子とされた恵み
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出エジプト記に登場するモーセは、ナイル川の岸辺でエジプトの王女に見つけられました。王女は「この子はヘブライ人の子です」と一目見て言いました。王女が「不憫に思った」と書かれています。自分と同じエジプト人の子どもだから助けたのではなく、ヘブライ人の子であるにもかかわらず「不憫に思った」のです。まさにエジプトでは奴隷であったヘブライ人の子どもであるがゆえに「不憫」だったのです。王女は、この子が自分の父親であるファラオの政策による犠牲者であることを知っていたでしょう。彼女は手当を出して育てるように命じ、モーセが成長すると王宮に引き取り「その子はファラオの娘の息子となった」。つまり、モーセは皇室の養子という恵まれた環境の中で成人していくのです。
今日の聖書箇所、ローマ書8章には「あなたがたは・・・子としてくださる霊を受けたのです」(15節)とあります。原語のギリシャ語では「養子」と書かれています、英語では”adoption”です。ですからパウロは、神の養子としてくださる霊を私たちは受けたのだと言うのです。当時のローマ法の社会において養子は親の財産を受け継ぐことができる権利がありました。つまりアブラハムの子孫に与えられるという祝福を相続する権利が神の養子にもあるのです。神の独り子イエス様を長男として、私たちは養子とされました。余すことなく神様の祝福に与ります。長男のイエス様が復活されたように、やがて私たちも復活の体を得ることができます。日本は養子縁組や里親の引き取り手が少ない養子後進国ですが、私たちクリスチャンは霊的に神様の養子にされました恵みを知っています。霊的な孤児で「不憫」であった者が養子にされたことで、神の家族という温かい交わりの中で生きています。自分が神の子とされて恵まれたのだから、私も親のいない子どもを養子に迎える。これがキリスト教世界観によって培われた欧米社会にあるようです。私の子になって欲しい、一人でも多くの人を、私の子として神の家族を築いていきたい。それが神様の御心だと覚えていきたいと思います。
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