2024年1月14日「私たちを生かすキリストの真実」

聖書:フィリピの信徒への手紙3:2〜9
説教題:「私たちを生かすキリストの真実」

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この手紙を書いたパウロという人は、本当に主イエス・キリストのことが大好きで、愛していたのだと思います。そこがパウロの魅力です。パウロが主イエスと出会ったのは、既にイエスが十字架にかけられた後のことです。彼はイエスを信じる者たちを迫害していました。あるとき突然、目のくらむような光の中でパウロは声を聞きました。「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか。」それは主イエスの声だった。パウロはイエス・キリストと出会いました。一方でパウロはとても特別な仕方で主イエスと出会ったようでもありますが、他方では私たちと同じだと思います。彼は主イエスをその肉眼で見たわけではない。ただ、イエスの言葉によってイエスと出会った。そしてその出会いを通して主イエスをやがて愛し、喜んで主イエスを信じた。パウロの手紙を読むと、主イエスとの出会いの喜びがほとばしっていることに気付きます。まるでずっと出会いたいと願っていた恋人と出会えたかのように、パウロは喜んでイエスを愛している。今日のところでも、「私の主イエス・キリストを知ることのあまりの素晴らしさ」、「キリストを得、キリストの内にいる者と認められ」たい、「キリストの真実」と言った言葉に、彼の愛が込められているのを感じます。

キリストとの出会いが、キリストを知ったことがあまりにもすばらしい宝だから、それまで自分が宝だと思ってきたものは今や屑と思っている、とまで言います。割礼を受けていること、イスラエルはベニヤミン族の出身であってヘブライ人の中のヘブライ人と言える家柄であること。パウロはどこかの馬の骨ではなく、正当な血筋に生まれついた。或いはその後の自分の人生でも、ファリサイ派の一員であるほど律法を守り、教会を迫害するほど熱心であり、律法の義に関しては非の打ち所がない。自分の生き方についても誇りを持つことのできるものだった。頑張ってきた。パウロには自分の誇りを支えるものがたくさんあった。生まれつき持っていたものも、その後の人生においても。しかし、そうやって自分の誇りを支えてきたものを今や屑と言い切ります。主イエスを知ることがあまりにもすばらしい福音で、もはやパウロにとっては他の一切が屑に過ぎない。激しい言葉です。それだけに、主イエスへの一途な愛がほとばしるような言葉です。

ある人がこのパウロの言葉をこのように解説していました。パウロは自分という船が沈んでいることに気付いた。それならば急いで荷物を捨てなければいけない。これまで大切にしていた宝と思っていたものでも、もっと大切な自分の命を守るために捨てる。これまでの荷物が悪いものだったということではない。しかし船が沈みそうな今、それよりも大切なものを救わなければならない。パウロは、自分を本当に救うことのできるかけがえのないもの、それはキリストとの出会いだと知ったのです。

私は、パウロはごく普通の人だったのだと思います。重い病気が奇跡的に治ったとか、人生の大問題が解決されたとか、そういうことを言って回りません。ただ、自分のようなキリストを迫害していた敵にすらキリストは出会い、私のような者を愛してくださった。パウロにあったのは、それだけでした。キリストとの出会いがパウロを変えた。キリストの真実が私を救ってくれた。それだけがパウロの全て。そして、私たちの全てです。
ディーン・リーパーという宣教師の伝記を読みました。この人もキリストの真実に捉えられて、神を愛し、人々を愛して生き、そして死んだ人物です。私たちは例え何を失っても構わないと言えるほどのキリストの真実というかけがえのない宝が与えられています。

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