2023年2月26日「エイリアンの祈り」

聖書:マタイによる福音書6:10a
説教題:エイリアンの祈り

音声


動画


 「御国を来たらせたまえ」「あなたの国が来ますように」。これはかなりユニークな、そして私たちの思い込みに抗うような祈りの言葉です。聖書が伝えている救いとは何か。皆さんはどのように思っておられるでしょうか。死んだら天国に行くこと。そう考えている人が多いのではないかと思います。ところが、主イエスは「死んだ後天国に行けますように」と祈るようには命じませんでした。「あなたの国が来ますように。」神の国が来る。それが主イエスの告げた福音です。主イエスの宣教は「時は満ち、神の国は近づいた」という言葉から始まりましたが、「神の国が来る」というのが、主イエスの宣言なさった救いなのです。

 それにしても変わった福音です。国が来るとはどういうことか?国は行く場所であって来るような物ではありません。恐らくこの福音の背景には旧約聖書の言葉があるのだと思います。例えばイザヤ書第52章7から10節です。ここには「あなたの神は王となった」という言葉がある。この「王になる」というのは、「国」という言葉の動詞形で表現されます。神が王になられる。そして更に「主がシオンに帰られる」という表現もあります。主なる神さまは王となるために私たちのところへ帰って来てくださる。それが「私たちの神の救い」だと言います。つまり、神の国が来るというのは、私たちの神が王となるために私たちのところへ来られる、ということです。

 しかし、私たちの周りに広がる現実はそれとはぜんぜん違います。聖書にも私たちの経験する現実の国や支配の悲惨をするどく描く記事がたくさん出てきます。例えば主イエスがお生まれになったとき、当方から博士たちがやって来ました。彼らは「ユダヤ人の王としてお馬になった方は、どこにおられますか」と言ってエルサレムまでやって来た。それを聞いてヘロデ王は不安になりました。そのために、結局はベツレヘムに住む二歳以下の男児を皆殺しにしました。ヘロデはイエスがまことの王であることを恐れたのです。私たちはどうでしょうか?

 サムエル記上第8章には、イスラエルにまだ王がいなかった時代、国民が他の普通の国のように自分たちにも王がほしいと言い張ったときのことが書かれています。神さまは、民のこの要求はご自分が王であることを退けるものだとおっしゃいます。神が王であることを拒んだ。私たちはどうでしょうか?

 ルカによる福音書第4章5から8節には、主イエスが荒れ野で悪魔から誘惑を受けた時のことが書かれています。悪魔は言います。「この国々の一切の権力と栄華とを与えよう。それは私に任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もし私を拝むなら、全部あなたのものになる。」恐ろしいことに、世界の国々とその栄華は悪魔の所有物だと言うのです。私たちは神を王として生きるのか、それともそれを拒むのか、問われています。そしてこの世の国々と栄華を求めて生きることは悪魔を拝むことに他ならない。私たちはどうでしょうか?

 主イエスは「時は満ち、神の国は近づいた」と福音を宣言なさいました。主イエスがそう宣言なさったからには、私たちにまだそれが見えていなくても、既に神の国は来ているのです。神の国を求める祈りは、諦めの反対です。どうせ世の中も現実も変わらないという諦めを捨てることです。キリストが私たちの間に始めた神の国は、からし種のようにもう成長しています。この世に生きるキリスト者として「あなたの国が来ますように」と祈ります。

この記事へのコメント