2023年2月19日「主の祈り⑤ 第一の願い」

聖書:マタイによる福音書6:9c
説教題:第一の願い

音声


動画



「願わくは御名をあがめさせたまえ。」マタイによる福音書の本文では「御名が聖とされ ますように」と書かれています。これこそ、主イエスが私たちに第一の願いとするように教 えてくださった祈りです。「第一の願い」というのは、単に順番が最初ということだけでは なく、他の何よりも大事な祈りということです。この祈りには神さまの限りない慈しみが込 められているのです。

この祈りは原文を直訳すると「あなたのお名前が聖とされますように」となります。神さ まのお名前なので「御名」ですが、原文ではここには「あなたの」という人称代名詞が付い ている。これはとても大事です。神さまは「あなた」とお呼びして祈る相手です。どこかに ある抽象的な概念でも、頭のいい人が考え出した崇高な存在でもありません。神さまは「あ なた」とお呼びして祈るべき方です。そして、それ以前に神さまが私たちを呼んでいてくだ さる。そういう御方です。

そして、私たちはその御方に向かって「あなたのお名前が聖とされますように」と祈りま す。神さまにお名前があるというのは、考えてみれば不思議なことです。名前というのは、 普通は社会の中で他者と区別をするために必要なものだからです。「父」は世の中にたくさ んいますが、私の子どもたちの父は宮井岳彦という人間だけです。「宮井岳彦」という名前 は、子どもたちにとって他の父と自分の父とを区別します。しかし、神さまのお名前はそれ とは違います。主なる神さまは他の神々の中でご自分を区別する必要がありません。神は唯 一の神だからです。ですから神のお名前には別の意味がある。
実は、ご自身の御決意の現れということができると思います。神さまが御自らのお名前を 名乗られた場面でもっとも忘れがたいのは、出エジプト記第3章に書かれた出来事です。神 さまはモーセに現れ、「私はいる、という者である」と名乗られました。とても不思議な名 です。この名は、神が名乗られたのがいかなる状況であったのか、ということが重要です。 神は荒れ野でモーセに出会われた。その時神は彼におっしゃいました。「私は、エジプトに おける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに 知った。」だから、神さまは彼らを救おうと決意なさった。その流れの中でご自分の名前を 名乗られたのです。「私はいる、という者である」と。

更に時は下ってイザヤ書第52章4~6節です。エジプトで苦しんでいたイスラエルの人々は やがてアッシリアにも苦しめられ、更にこの時代、バビロンで捕囚にされていました。バビ ロンの地で、イスラエルの神である主のお名前は汚されていました。そこで、神さまはおっ しゃいます。「それゆえ、私の民は私の名を知るようになる。その日、『私はここにいる』 と告げる者、それが私だ。」ここでも、神さまは苦しみ救いを求める神の民のただ中にいる と宣言なさいます。この決意表明、あるいは救いの宣言が神のお名前だと言われるのです。

そして何よりも、主イエスは「天にまします我らの父よ」と祈るようにとおっしゃいまし た。神さまは「我らの父」とお呼びして祈る。神さまは私たちの前に「イエス・キリストの 父」というお名前を明らかにしてくださった。私たちがこのように祈るために、神さまは私 たちの前に低くへりくだって私たちと共におられ、私たちを救うことを決意してくださった のです。

この記事へのコメント