2022年10月30日「焚き火に当たりながら」

聖書:ヨハネによる福音書21:15~19
説教題:焚き火に当たりながら

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 ティベリアス湖で復活の主イエスと出会ったシモン・ペトロと他の弟子たち。彼らのために主イエスは既に炭火をおこし、パンと魚を焼いて待っていてくださいました。主イエスと弟子たちと、共に焚き火を囲んで朝ご飯を食べました。この時、もしかしたらペトロはもう一つの焚き火を思い出していたかも知れません。ほんの数日、あるいは精々1か月くらい前の出来事です。真夜中のことでした。場所はエルサレムの都にある大祭司の中庭。主イエスが裁判にかけられていた夜です。あの夜、ペトロは焚き火に当たっている人たちの中に紛れ込んでいたのでした…。

 この朝、食事が終わると主イエスはペトロに尋ねます。「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛するか。」これは、主イエスの問いとしては少し意外ではないでしょうか。この人たちが私を愛するよりも多く、と比較しています。あまり主イエスらしくない質問のように思います。らしくないと言えば、ペトロの答えもペトロらしくないように思います。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」以前のペトロであれば「はい、主よ、私は他の人よりもあなたを愛しています」と堂々と言ってのけたに違いない。いや、実際にそう言っていました。「たとえ、皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません(マタ26:33)」というのは、あの焚き火の数時間前の言葉です。ところが、この朝、ペトロは同じようには言わなかった。いや、言えませんでした。あの夜、大祭司の中庭の焚き火に当たっていたペトロに、その場にいた女中が言いました。「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」「違う」とペトロは断言します。同じやりとりが三度重ねられた。ペトロは主イエスを三度否んだ。

 この朝の光の中、主イエスはあの夜をなぞるようにして、三度繰り返してペトロに問います。「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか。」「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」恐らく、シモン・ペトロは誰よりも主イエスに傷つけられた人だと思います。「ペトロは…悲しくなった」。しかし、シモン・ペトロは誰よりも主イエスに救われた人でもありました。植村正久牧師は、この問いはペトロの慰めともなったと言います。なぜなら、ペトロはもう一度、主への愛を告白する機会を与えられたから。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」とペトロは答えます。あなたがご存じ、とペトロも三度繰り返す。堂々と、愛していますとは言いません。言えません。愛しているどころか、愛を拒んだのです。イエスを捨てたのです。死ぬのが怖かったからです。生活が崩れることが恐ろしかったからです。でも、それでも、ペトロは主イエスが好きだった。ほんの小さな愛を主イエスは見出し、それを口に上らせる機会をもう一度くださった。ペトロは、私のこの弱さも、そしてほんの小さな私も愛も、主がすべてを知っていてくださることに慰められ、救われたのです。

 やがてペトロは次世代のキリスト者達のために手紙を書きました。こう記します。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びにあふれています(一ペト1:8)」。この慰めも癒やしも、ペトロ一人のことではありません。私たちも同じように主イエスに救われ、主を愛する喜びを味わっているのです。

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