2022年9月4日「平和をもたらす使命に生きよ」

聖書:ヨハネによる福音書20:19~23
説教題:平和をもたらす使命に生きよ

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「聖霊を受けなさい。」これこそ、今日、主イエス・キリストが私たちに告げている福音です。その日、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、自分たちのいる家の戸という戸に鍵をかけて閉じこもっていました。なぜなら、イエスが十字架につけられてまだ三日目だったからです。しかも、今日の朝になったら墓が空になっており、マグダラのマリアが復活したイエスと出会ったと言った。その噂はすぐにユダヤ人当局にも届いたに違いない。弟子たちはそれで勇気づけられたのではなく、ますます恐れたのです。イエス復活の噂と共に自分たちはもう抹殺されるのではないか、と。しかしそれだけではなく、主イエスご自身をも恐れていたのかもしれません。裏切った私たちを、主はお怒りになっているに違いない…。これはただ2000年前の弟子たちのお話しではない。私たち自身の話です。誰もがこの恐れについて、身に覚えがあるのではないでしょうか。私にとっても、今日のところは特別な思いを抱く出来事です。

主イエス・キリストは恐れる弟子たちのいる家の中に入ってこられ、真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃいます。ヘブル語では「シャローム」という言葉です。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」と何にでも使える万能の挨拶だそうです。シャロームは日常の挨拶です。しかし、ここでは単なる挨拶ではありません。シャローム、平和という原義を持つ挨拶。まさにイエスは彼らに平和を宣言しました。あなたがたに平和があるように!この言葉は、私はあなたたちを赦すとおっしゃっているのと全く同じ意味です。主イエス・キリストは恐れて戸に鍵を掛けてうずくまっていた弟子たちに平和を告げ、彼らに赦しを宣言なさったのです。

この出来事は「その日、すなわち週の初めの日の夕方」に起こりました。「その日」とは、朝、マグダラのマリアがイエスと出会った「その日」です。「週の初めの日」とは、日曜日、私たちが主の日と呼ぶ日です。主の日、主の甦りの日に、キリストを信じる者たちはキリストの告げる平和の宣言を聞いた。これが私たちの礼拝の営みです。私たちは主の日にキリストから罪の赦しの宣言を聞いているのです。

この平和は、私たちを平和の使命に派遣します。「誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」主イエスは、赦しても赦さなくてもどちらでもいいとおっしゃったのではなく、明らかに私たちを赦しの使命に遣わしておられます。これは大変なことです。私たちが罪の被害者になった時、それを私たちが赦すなら、その赦しは神さまの御前で意味を持つと言われます。ところが私たちの現実は、ユダヤ人を恐れる弟子たちであり、主イエスの前に戸を閉ざす弟子たちそのものです。しかも、閉ざされた仲間内で平和の挨拶をするのではなく、恐ろしいユダヤ人のところへ行って、赦しの福音に生きよと言われます。そのようなことは、不可能です。だからこそ、主イエスは言われるのです。「聖霊を受けなさい」と。神の霊が私たちを清め、新しくし、私たちを使命へ遣わします。キリストは私たちにご自分の聖霊である息を吹きかけ、この霊を受け入れて平和をもたらす使命に生きよと私たちを召しておられるのです。

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