2022年8月7日「彼女は振り向いて」

聖書:ヨハネによる福音書20:11~18
説教題:彼女は振り向いて

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今日私たちが聖書に耳を傾けて聞いているのは、聖書の中でも最も美しく、優しい物語です。マグダラのマリアが墓で主イエスと再び出会った。復活したイエスと出会ったのです。主イエスが十字架にかけられて三日目の早朝に墓に行ったマリアは、墓の入口を塞いであったはずの石が動かされているのを見つけて墓荒らしだと思い込んでシモン・ペトロともう一人の弟子のところへ走りました。男たちは走って墓に来て、墓に入り、何かに納得したのか帰ってしまった。しかし、マリアは一人取り残されて墓の前で泣いていたのです。泣きながら墓の中をのぞき込みました。中には二人の天使がいた。しかし、普通なら考えられない光景を見たのに、彼女は驚きません。それどころか、主イエスご自身がマリアの後から声をかけた時にも、後ろをふり返ってその声の主を見たのに、彼女は園の番人だと思い込みました。きっと、天使も同じように思ったのでしょう。マリアは悲しみのあまり心が鈍くなり、そこに天使がいても、主イエスご自身がおられても、気付くことができなかったのです。

天使やイエスから、重ねて「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と訪ねられた時、マリアは、主が取り去られてしまい、どこに置かれているのかが分からないと答えます。この答には二つの意味があります。一つは文字通り、墓荒らしか何かに盗まれてイエスさまのご遺体が見つからないという、マリアが目撃している(と思い込んでいる)現実を言い表す意味。しかしもう一つは、更に普遍的に、主がどこにおられるのか分からない、神さまはもう死んでしまったのではないか、私の祈りなんて聞いておられないのではないか、信じる意味がないのではないか、見ているだけで何もしてくれないんじゃないか…そのような意味でもある。マリアはじっと墓の中を見詰めながら、主がどこにおられるのか分からないという絶望にのめり込んで、何も見えなくなっていたのです。

私はこのマリアの姿を思い、私たちの教会の信仰の先輩たちのことを思いました。ご自身の愛する人を喪い死の力にのみ込まれるような経験の中で、しかし主イエスと出会ってきた人たちがたくさんいます。一体どうやって主と出会ったのでしょうか。

主はマリアにおっしゃいました。「マリア」。すると彼女は振り向いて「ラボニ」と答えた。これはヘブライ語、つまりイエスやマリアが話していた言葉で「先生」という意味です。明らかにマリアも他の弟子たちも、普段からイエスを「ラボニ」と呼んでいた。主がマリアの名前を呼び、マリアも主に答えた。ここにマリアの信仰が始まった。主がマリアを呼んでくださったからです。その始まりを象徴的に表すのが「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で『ラボニ』と言った」の、「彼女は振り向いて」という言葉です。14節にもマリアが振り向いたと書いてある。一度目は体だけ振り向いた。しかし目に映ったイエスを園丁だと思い込んだ。しかし主が名前を呼んでくださった時には彼女の心も振り向いて、そこに主がおられて私を呼んでくださっていると気づき、マリアは主イエスと出会ったのです。興味深いことに主イエスはマリアに「私に触れてはいけない」と言われます。もしもマリアがイエスに触って安心したのなら、私たちにとっては無関係の昔話です。しかし大事なのは触って懐かしむことではなくて主の呼び声です。その御声は今日も響いています。

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