2022年1月9日「あなたは一人じゃない」

聖書:ヨハネによる福音書16:4b~15
説教題:あなたは一人じゃない

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今日の聖書の御言葉を読んで強く心に残るのは、「あなたたち」という人称代名詞がたくさん出てくることです。ぜひもう一度、一つひとつ確認する気持ちで聖書を読んで頂ければと思います。ここには、主イエスの「あなたたち」に向ける並々ならぬ思いが込められているに違いないと思います。この「あなたたち」は、主イエスの目の前でこの説教を聞いている弟子たちでしょうが、それだけではなく、今聖書を読んでいる私たちのことでもあります。主イエスは私たちの今に関心を持っていてくださいます。有り難いことです。しかも、主イエスは私たちが胸に秘める悲しみを決して無視なさらないのです。「あなたがたの心は悲しみで満たされている。」

なぜ、弟子たちの心は悲しみで満たされているのか。主イエスが弟子たちから離れて父なる神様の御もとに帰って行かれることがはっきりと分かってきたからです。つまり、キリストが共にいてくださらなくなるから、悲しんでいる。その悲しみは、もしかしたら弟子たちよりも私たちの方がベテランなのかもしれません。私たちはこの肉眼で主イエスを見ているわけではないし、この耳で主イエスのお声を聞いているわけでもありません。体の痛むところに主イエスの手で触れて頂いたこともない。それが可能であったらどんなにいいことかと思います。そして、そこに私たちの悲しみの源泉があるのではないか。なぜ、どうして、こんなはずじゃなかった。そう言わざるを得ないことが私たちには起こる。その時、どうして主イエスはここにいてくださらないのか、どうしてここに来て助けてくださらないのか、私たちはそう問うてきたのではないでしょうか。弟子たちも、これから主イエスが十字架にかけられるのを目の当たりにする。目の前からイエスがいなくなってしまうのです。

そういう私たちの問いに、主イエスはこのようにお答えになっています。「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」思わぬ言葉です。主イエスがここにおられないのは、本当は私たちのためになるのだと言っています。なぜか?主イエスが父なる神様の御もとに帰らなければ、弁護者が来ないから。弁護者、「隣で呼びかける者」という字を書きますが、それは聖霊のことです。キリストは父の御もとに帰って、私たちに聖霊を送ってくださる。聖霊は、13節では「真理の霊」と呼ばれています。私たちに真理を悟らせてくださる。それでは真理とは何か?聖霊が私たちの隣にいて、懇ろに語りかける「真理」とは一体何のことなのか?8節に、罪、義、裁きを聖霊が私たちに明らかにすると書かれています。特に義について「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること」と言っている。ヨハネによる福音書では、イエスが十字架に上げられることと父のもとに上げられるということは一つの事として語られています。それを踏まえてこの福音書の中心である第3章16節以下を読み返してみると、独り子をお与えになったほどの神の愛、しかしそれを認めず、拒む人間の有り様が描かれ、光よりも闇を好んでしまうことが既に裁きだと言われています。真理の霊は、私たちの隣にいて、神の愛に帰れと語りかけ続けてくださいます。礼拝はこの語りかけを共に聞く時です。

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