2022年1月2日主日礼拝「今こそ、福音を伝えよう」

聖書:テモテへの手紙二4:1~8
説教題:今こそ、福音を伝えよう

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新しい年を迎えました。「正月」というといかにも日本的な感じがしますが、聖書にも正月が登場する場面があります。出エジプト記12:2です。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。」“この月”というのは、私たちのカレンダーに移して言うなら3月か4月です。聖書の正月に一体何があったのか?かつて、イスラエルの人々はエジプトの奴隷でしたが、神が救い出してくださった。奴隷が自由になり、神を礼拝するためにエジプトを出て行った。その出来事を記念してこの月を正月とし、この時に過越祭という特別な礼拝を献げるのです。過越祭では一歳の小羊を屠ってその血を家の戸の鴨居と柱に塗り、小羊の肉とパン種の入っていないパンを食べる。この不思議な礼拝に一体どういう意味があるのか?もしも子どもたちがそのことを尋ねたら、親はこのように答えます。「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである。」小羊の血も種なしパンも出エジプトの出来事と深く関わる。神が私たちたちをエジプトから救ってくださったと子どもたちに伝えた。これが聖書の民の正月です。神に救って頂いて“今”があることを思い起こし、この記憶を共有して一つになる。正月になると家族ごとに羊の肉と種なしパンを食べ、救いの記憶を共有し、継承したのです。教会はキリストにある家族です。私たちは家族。今、私たちはキリストが私たちを救ってくださったことを互いに思い起こし、救いの記憶を共有して一つの家族として正月から新しく始めます。

キリストの救いの御業を想起するというときに、今日の御言葉は、私たちが聞くべき言葉です。8節に「主が来られるのをひたすら待ち望む人々」とあります。私たちは新しい年、新しい時を迎えています。私たちを新しい時に向かわせるのは、キリストが私たちのところへ来ておられるという事実です。この方を待っているというのが、私たちが今というこの時を生きる意味なのです。

大晦日にNHKで大谷翔平選手の番組を放映していました。大谷選手は大リーグ移籍後の最初の年はある程度の成績を残したものの、肘と膝の手術を受け、二年間のリハビリを余儀なくされました。二刀流など土台無理なのだと酷評されました。しかし長いリハビリを着実にこなし、2021年シーズンに至ります。周囲の雑音に惑わされず、ご本人には来るべき将来が見えていたのでしょう。術後のリハビリ中にも、今この時の意味が分かっていたのだと思います。私たちには、MVPより更にすばらしい将来が待っています。この手紙を書いたパウロは言います。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」義の栄冠を受ける!それはパウロ一人のことではなく私たちのことでもあります。周囲の人々は、私たちがキリストの来られるのを待ち望んで、主の業に励むのを見ても、理解してくれないかもしれません。無駄だとか、もっと楽しいことがあると言うかもしれない。神にいただく栄冠の価値を無碍に否定してかかるでしょう。それでもキリストが来られる、救いの時が来ている、その事実の素晴らしさを信じ、私たちはなすべき業をします。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」この使命はキリストの福音を想起せしめ、救いの喜びを証しする光栄あるつとめなのです。

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