2021年12月5日第二アドベント礼拝「クリスマスと、憎しみと」

聖書:ヨハネによる福音書15:18~16:4a
説教題:クリスマスと、憎しみと

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主イエスは言われます。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」証しとは、証言のことです。わたしの知るイエスについての証言です。わたしの知るイエス・キリスト、もっとはっきりと言えば、わたしの知るキリストの愛の証言。この証言のために真理の霊がわたしの中で働いて、証言の言葉を確かにしてくださいます。神を信じるというのは、神の愛を信じるということです。キリストを信じるというのは、キリストがわたしを愛してくださっているという事実を信じることです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」神が愛してくださった世、それはわたしのこと。わたしも神が愛してくださった世に生きる一人。私たちはこの福音を信じ、これを証言します。

しかし、その証言にはしばしば激しい逆風が襲います。主イエスご自身が言っておられる。「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」私たちはしばしば、いろいろな形で経験します。キリストを信じ、洗礼を受けたいと願う。しかし夫が、妻が、親が承知しようとしない。あるいは主イエスの愛を知ってほしいと、気にかかる人に勇気を出して話してみる。迷惑だと聞く顔に書いてある。最初のキリスト者たちがこれから迎える迫害の日々に比べたら、小さな事のように思えるかもしれません。しかし、同じことではないかと思います。キリストのために憎しみを買うのです。

しかし主イエスは、キリストのために私たちが憎しみを買うのは必然的なことだとおっしゃいます。それはキリストを信じる私たちが、世の身内ではなくキリストの友になっているから。キリストが世に憎まれたのだから、私たちが世から憎まれるのは当然だ、と主イエスは言われる。
この「身内」という言葉がとても興味深いと思います。今日の説教題は「クリスマスと、憎しみと」という穏やかならざるものです。例えば主イエスがお生まれになったとき、この方は飼い葉桶に寝かされました。身重の夫婦のための場所がどこにもなかったからです。どうしてそんなに人があふれていたのか。ローマの権力者が人口調査をしたからです。やがて主イエスはこの権力の手で、人々の愛を欠いた無関心の中で十字架にかけて殺されました。クリスマスにすでに世の憎しみや無関心があらわになったのです。それはイエスが世の身内ではないからです。世の身内なら憎まれはしなかった。しかしイエスは憎まれ、よそ者として排除されました。

世はキリストを憎み、神を憎みました。しかし、神はその独り子をお与えになったほどに世を愛されたのです。神はご自分を憎む世を愛されたのです。わたしもこの世の一人です。そのわたしをキリストは愛し、ご自分の友にしてくださった。この愛を、わたしは証言します。

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