2021年10月10日「思い起こせ、平和の約束を」

聖書:ヨハネによる福音書14:22〜31
説教題:思い起こせ、平和の約束を

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 木曜日にYさんの納骨式をいたしました。8月に葬儀をしたときにとても強く感じたのは、Yさんはずっとご自身の死を意識しながら生きてこられたのではないか、ということです。私たちは、自分の死への備えができているでしょうか。

 主イエスは言われます。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と。この言葉について改革者マルティン・ルターがこのように言っています。「あなたが苦悩のただ中にいる時、キリストは『わたしはあたかもパラダイスにいるように感じるようにしてあげよう。戦いの中にわたしの平安を、死の中に命を、与えよう』と言われます。」ここで私たちが読んでいる聖書では「平和」と翻訳していた言葉が「平安」と翻訳されていることにお気づきだと思います。平安、平和、イスラエルの言語であるヘブル語ではシャーロームと言います。聖書の中でも最も美しい言葉の一つだと思います。神さまや隣人との関係でのシャーロームであれば「平和」、自分自身との、あるいはやはりここでも神さまとの関係でのシャーロームを「平安」と訳することもできるかもしれません。しかし、平和と平安、どちらも意味が重なります。キリストは私たちにご自身の平和を、平安を、与えてくださるのです。それは死の中に命を与える平安、死に打ち勝つ平安です。

 「心を騒がせるな、おびえるな」と主イエスは私たちに言われます。私たちの心が騒ぐこと、私たちが怯えていることをよくご存じだからです。数日前の地震で、10年前のことを思い出して辛い思いになった方もおられるかもしれません。この一年半の時勢については、もう改めて言う必要もないかもしれません。ところで、今私たちが使っている新共同訳の聖書で「平和」と訳しているところは、以前の口語訳では「平安」でした。私が高校生か大学生かのころ、当時私が通っていた教会で使用する聖書が口語訳から新共同訳に替わってまもなくのころでしたが、何人かの人と一緒に聖書を読む機会がありました。参加していた高齢の方が、平安という言葉が平和に替わったけれど自分にはなかなかなじめないという主旨のことをおっしゃっていました。単なる慣れの問題ではないのだと今になると思います。あの方は、ご自分に少しずつ迫ってきている死のときをじっと見つめていたのではないかと思います。死を乗り越えるのは、神が与えてくださる平安に他ならない。心騒ぎ、おびえる私だからこそ、キリストは平安をくださったとおっしゃっていたのだと思います。

 キリストの平和、平安を得させるために、主イエスは言われます。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」この言葉を何度も読んで、私はびっくりしました。主イエスは神を愛する者に、父なる神とキリストとが「一緒に住む」と言われます。この言葉は13:2にも出てきます。「父の家には住むところがたくさんある」の「住むところ」です。13:2では、印象としては、今は苦しくても天国に行けば私の部屋もあるという感じがしますが、今日のところを読むと誤解だと分かります。神さまの方からこっちに来て、わたしと一緒に住んでくださる。ここに平和が、平安が成り立ちます。「キリストの平和があなた方の心を支配するようにしなさい」(コロサイ3:15)。

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