2021年10月3日「隣る神」

聖書:ヨハネによる福音書14:15~21
説教題:隣る神

音声


動画




 「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」とキリストが言われます。あなたたちがみなしごとして捨てられること、放っておかれることを私は許さないと、かなり強く言っておられる。主イエスの固い決意表明です。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」、それは裏を返せば、私たちがまるで自分はみなしごだと思い込みがちだということでもあろうと思います。自分は神さまに見捨てられれいるとか、神さまはわたしのことなんて気にかけていないとか、自分にはそんな価値はないとか、あるいはそもそも気にかけるも何も神なんていないのだとか、神さまは気にかけているだけで何にもしてくれないだとか、そういうことを少しでも感じているとすれば、そんな私たちのためにキリストは言われるのです。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と。

 今日の説教題は「隣る神」と付けました。二つのイメージがあります。一つは、この「みなしごにはしておかない」という主イエスの言葉です。そしてもう一つは16節で主イエスが「別の弁護者」と呼んでいる父なる神が遣わしてくださる真理の霊、つまり聖霊。この「弁護者」という言葉は、「隣で呼びかける」という字を書きます。口語訳聖書では「助け主」と翻訳されています。私の隣にいて、私のために裁判官に呼ばわってくれる人、検察の有罪立証を覆してくれる人、それが弁護士、弁護者です。そして隣にいてわたし自身に語りかけ、心から心へ呼びかけ、慰め、励ましてくれる、それが助け主。弁護者、助け主。この言葉には両方の意味があります。神さまは弁護者である真理の霊、聖霊を遣わして、私の隣にいて呼ばわってくださるのです。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と。

 「隣る神」という説教題は『隣る人』という一冊の本を参考にして付けました。光の子どもの家という児童養護施設の設立者である菅原哲夫さんが書いた本です。「隣る人」という言葉はルカによる福音書に書かれている憐れみ深いサマリア人の譬え話から生まれた造語だそうです。光の子どもの家のスローガンのようなものです。この施設に来るとき、子どもたちは独りぼっちで、何も持っていません。虐待を受けたり、無条件で愛される経験をしたことがなかったりする。「隣る人」とはあのサマリア人のように、居場所のない子どもたち、傷ついた子どもたち、家族から半殺しにされて捨て置かれたような子どもたち、隣に人のいない子どもたちに関わろうと祈る人のことです。この本は本当にすばらしいのでぜひ多くの方に手に取って頂きたいです。そして、神さまは究極的に私たちに隣ってくださいました。私の隣にいて、私に語りかけてくださっている。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」この方は、隣る神です。

 主イエスは聖霊を「別の弁護者」と呼びました。「別の」ということは最初の弁護者がいる。もちろん主イエスご自身です。主イエスは私の隣にいて、私を愛するために、隣にいるリスクをまるごと引き受けてくださいました。私のために誰よりも深く傷つきました。十字架にかけられたというのは、そういうことです。この方が私の隣にて、神の愛を呼びかけておられる。だから、神の愛に生かされて、私もキリストの掟に従って互いに愛し合う隣る人になれるとキリストは言われるのです。


*説教でご紹介している『隣る人』という書籍の出版社のホームページはこちらです。とてもすばらしい本ですので、ぜひお手にとってみてください。
https://www.wlpm.or.jp/pub/?sh_cd=98078

この記事へのコメント