2021年9月19日召天者記念礼拝「命の祝福に共にあずかろう」

9月19日は召天者記念礼拝でした。

聖書:ヨハネの黙示録7:9~17
説教題:命の祝福に共にあずかろう

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 召天者記念礼拝の日を迎えました。週報には、逝去された教会員や教会が葬儀を行った方たちのお名前が記されています。あるいは、それぞれに心の内に思うお名前があるのではないかと思います。私が今朝特別な思いをもって思うお名前は、先週の水曜日、15日に亡くなったウィリアム・イェン牧師のお名前です。香港から避難しエジンバラで伝道を続けておられたが、COVID-19で逝去した。日本で、香港で、フィリピンで、いろいろなところでお目にかかって親しくして頂きましたし、何よりも誰にもおもねらずに平和の福音を告げ続けた尊敬する牧師でした。皆さんも、今日はそれぞれにいろいろな思いを抱きながら礼拝を献げているのではないかと思います。聖書にも愛する人を喪って途方に暮れる人がたくさん出てきます。そんな時、何が悲しむ人々の慰めになったのか?それは亡くなった人がなお神の祝福の内にいるという事実です。神さまは一人ひとりの名前を覚えておられる。

 ヨハネはたくさんの民が神を礼拝している幻を見ました。すると、その幻の内で尋ねられた。「『この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。』そこで、わたしが、『わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです』と答えると、長老はまた、わたしに言った。『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。』」

 大きな苦難を通って生きてきた彼らは、すでに衣が汚れていました。人は単純な存在ではありません。故人との思い出の中には、本当に楽しくてしあわせな思い出もあれば、決してそうではないこと、思い出したくないこと、言いたくても言えなかったこと、あるいはもっとこうしてあげられたらという後悔、いろいろな思いもあるのではないでしょうか。私たちの衣は苦難の中で汚れている。洗っても消えない汚れがこびり付いている。その汚れを、小羊の血で洗って白くした、と言います。小羊というのはイエス・キリストのことです。小羊の血というのは、キリストが十字架に磔にされて流した血を意味する。私たちの単純ではない隠しておきたい思い、家族でないと分からないこと、あるいは家族だからこそ分からないこと、そういうもの全部をキリストが引き受けて、重荷を負って十字架にかかった。十字架に手を、足を磔にされ、釘で打たれた。その傷から流れる血が、私たちの衣を白くする。その白い衣を着てこの人たちは何をしているのか?聖書は言います。「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。』」衣を白く洗われて、その衣を身にまとって神を礼拝している。今、私たちも神さまを礼拝しています。この礼拝堂の倚子は礼拝堂の中央にある食卓を囲むように配置されています。この食卓の向こう側の半円には、ここでヨハネが見た幻の民、天で神を礼拝する人々がいます。私たちの愛する者もその中にいる。白い衣を着て、神を礼拝しているのです。

 古代のローマ社会に誕生したキリスト教会は、昼日中に白い衣を着て、賛美を歌いながら愛する者を葬りました。私たちも神を礼拝する歌を歌いつつ、望みをもって愛する者を神に委ねるのです。

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