2021年9月12日「道、真理、命」

聖書:ヨハネによる福音書14:1~14
説教題:道、真理、命

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 カテキズム、信仰問答と呼ばれる本があります。多くは問答形式で、私たちが何を信じているかということを言い表し、告白するものです。私が愛するあるカテキズムは、このように始まっています。
問 あなたが、主イエス・キリストの父なる神に願い求め、待ち望む、救いの喜びとは、いかなる喜びですか。
答 私が、私どもを神の子としてくださる神からの霊を受け、主イエス・キリストの父なる神を、「私の父なる神、私どもの父なる神」と呼ぶことができるようになる喜びです。神は、いかなる時にも変わらずに私の父でいてくださり、私の喜びとなり、誇りとなってくださいます。
ここで信じる喜びを問うていることが心に残ります。神を信じることは私たちの喜びです。そして、その喜びは神を父とお呼びする喜びだと言います。実際に主イエス・キリストは神さまを「父」と紹介してくださいました。今日私たちに与えられている聖書の御言葉にも、繰り返し何度も「父」という言葉が出てきますし、それらはすべて神さまを指しています。神さまは私たちの父。私たちの信じる喜びは、神さまを父と呼ぶ喜びです。

 父というのは、何か抽象的に父みたいな存在、ということではありません。私は三人の子どもの父親ですが、父というのは単なる言葉ではなく、私と子どもたちとの関係を表す言葉です。子どもたちが私を父と呼ぶから、父という言葉は私と子どもたちとの間で意味を持ちます。大切なのは関係です。キリストは私たちに父を知らせ、キリストを知ることで、私たちに父を見せたのだと言います。そして、そういう話をしながら最後に至ったのは、祈りの話です。つまり、私たちが祈るときにキリストにならって神さまを「父よ」とお呼びする、そうやって私たちは神さまを信じる喜びを実際に体験する。それが大切なのです。神が父だというのは、何かの概念だとか、抽象的な真理ではない。私たちが「父よ」と実際に祈ることを通じて経験する、信じる者の喜びです。

 主イエスは、私たちに主の祈りを教えてくださいました。その時にも「父よ」と呼ぶことを教えてくださった。聖書を読むと、主イエスご自身の祈りがいくつも記録されています。主イエスは祈るときに「アッバ」と祈っておられます。アッバというのは子どもが父親を呼ぶ言葉。「お父ちゃん」とか「パパ」とか、そういう言葉です。主イエスは私たちの前にかがみ込むようにして、子どもに教えるようにして言います。「アッバ」と、「お父ちゃん」と私の真似をして神さまに祈ってごらん、と。私たちはそうやって祈れることを通じて、信じる喜びを経験する。

 自分の内側ばかりを見つめていたら、悲しくなります。「父よ」という呼びかけは、私たちの父親経験からしたらそれほど魅力的ではないかもしれない。私も一人の父として、自分の父としての姿なんて誇れたものではない。あるいは息子としての経験も、言い尽くせない思いもある。しかし主イエスは「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい」と言います。主イエスを見ると、神さまの父としての愛が分かるのです。独り子を与えたほどの父の愛が。だからイエスは父のもとへの道です。私たちはこの方によって神を父と呼ぶ喜びを知るのです。

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