2021年7月25日「慈しみ深きは神の御顔」

聖書:エレミヤ書3:6〜18
聖書:慈しみ深きは神の御顔

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 この一週間を殆ど異様とも言えるような空気の中で過ごしてきました。オリンピックの開会式のことです。開会式を楽しくご覧になった方は多いでしょうし、そのことの善し悪しの話ではありません。この数日で開会式に関係した人が何人も立て続けにその職を辞任するということが続きました。確かに一人ひとりに辞めざるを得ない理由がありました。それぞれを巡って社会の空気に怒りが満ちました。私たちの社会はこんなにも分断され、対立しているのかと恐ろしくなりました。個々の事情は、それぞれに正当化できるものではありませんでした。しかしあまりにも短絡的に犯人捜しをして、誰かのせいにして済まそうとするのは、怖いことだと思います。その当事者の過去のせいであったり、人選した人々、政治、スポンサーのせいにしたり、あるいは騒ぎ立つ大衆を小馬鹿にしながら彼らのせいにしたり。誰かのせいにして、そのことでもって安心していていいのでしょうか…?

 聖書の御言葉はヨシヤ王の時代のこと。ここには「背信の女イスラエル」と「裏切りの女ユダ」が登場してきます。イスラエルもユダも国名です。かつては一つの国でしたが、仲違いして分裂しました。そしてヨシヤ王の時代の数十年前、イスラエルは大国アッシリアに占領され既に滅亡していました。どうしてイスラエルは滅んだのか?もちろん地政学的な分析もできるのでしょうが、聖書はその核心を「彼女(背信の女イスラエル)は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけった」と説明しています。神ならぬ神を信じ崇めることを比喩的に「淫行」と表現しているのです。だから神はイスラエルに「離縁状を渡した」と言われている。イスラエルは神に裁かれて滅んだのだ、ということを意味しています。

 しかし本当の問題はその後です。預言者エレミヤはユダの人々に向けて語っているからです。ユダは自分の姉妹であるイスラエルがこのように滅んだのを間近に見ながら、自分たちのあり方を吟味することも、悔い改めることもしなかったと指摘しています。イスラエルが裁かれたのは彼らが罪深いからであって自業自得なのだと自分たちを棚に上げてあざ笑った。集団的ナルシズムを感じさせます。私は今日の聖書の言葉を読んでとても怖くなりました。エレミヤが見ているユダの「今」と私の目に映る日本の「今」との似ていること。それも怖いですが、それだけではありません。自分は無関係みたいな顔をしてイスラエルやユダを裁き、日本社会を裁き、テレビやネットを眺めながらブツブツ文句をつぶやいている自分がいる。「裏切りの女ユダは真心からわたしに立ち帰ろうとせず、偽っているだけだ、と主なる神は言われる」という聖書の言葉が胸に突き刺さります。

 そういう私に神さまは何とおっしゃっているのか?今日の箇所には何度も繰り返して「立ち帰れ」という言葉が出てきます。「背信の女イスラエルよ、立ち帰れ」と主なる神さまは言われるのです。神さまは怒りの顔ではなく慈しみの顔を向けてくださいます。神さまの慈しみは本当に広くて果てしない!神さまは真心から私たちを慈しみ、私たちの真心を求めておられます。だからこそ「ただお前の犯した罪を認めよ」と言われます。真心から罪を悔い改めて神さまの御もとに立ち帰ることこそが世界を変えるのです。神の慈しみだけがこの世界を新しくするのです。

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