2021年7月18日「弟子とは師匠をまねる人」

聖書:ヨハネによる福音書13:12~20
説教題:弟子とは師匠をまねる人

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 小学生の時に書道教室に通ったことがあります。私に教えてくださった先生は、ご自分が書いた手本の上に半紙を置いてそれをなぞる練習をさせていました。しかも最初は筆を持つ手に先生の手を添えて、力のいれ具合や筆運びを具体的に指導してくださいました。何回も手本をなぞるうちに、美しい字の形を覚えて、少しずつ自分でも書けるようになりました。あのまま続けていれば、今もっと美しい字を書けるようになっていたのかもしれません。書道であってもスポーツであっても、お師匠と同じようにできるようにするというのが、弟子としてすることです。

 明日十字架にかけられるという最後の食事の席で、主イエスはたらいに水を汲んできて弟子たちの足を洗いました。弟子たちは本当にびっくりしてしまいました。そこには特にこれまでずっと一緒にいた12人の弟子がいたのだろうと思います。一人ひとり順番に足を洗って頂いて、後の方の順番の弟子はどんな気持ちで待っていたのかと思います。主イエスは全員の足を洗い、また上着をまとって食卓に戻って来られ、彼らにおっしゃったのです。「あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」イエス様が私たちのお師匠として模範を示されたとおり、私たちもその通りに真似をして、互いの足を洗い合うように、と主イエスは言われるのです。

 1517年10月31日は私たちプロテスタント教会が記憶するべき日付です。この日、マルティン・ルターという修道僧がヴィッテンベルクの城教会の門扉に95ヶ条からなる提題を貼り出しました。この時から教会改革のうねりが始まり、やがて私たちの教会の源流にもつながっていきます。その第一の命題をルターはこのように書きました。「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めなさい…』と言われたとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである。」明らかに今日の箇所からとって、イエス様を「わたしたちの主であり師である」とお呼びしています。私たちは「主イエス」とお呼びすることはよく知っていますが、この方はただ主であるだけではなく「師イエス」でもあります。イエス様は私たちの師匠、私たちはこの師匠の弟子です。

 私たちはキリストの弟子であって、弟子は師匠の真似をします。私たちの師匠は私たちにいかなる模範を示されたのか。このお方は弟子の足を洗ったと聖書は伝えています。普通は逆です。弟子が師匠の足を洗い、師匠のお世話をさせて頂くのです。ところが私たちの師匠は弟子の足を洗ってくださる。しかも、そこには普通なら洗いたくない者もいました。18節には旧約聖書の言葉が引用されて「わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった」とあります。師であるイエスに逆らう者。あるいは10節によれば、清くないとも指摘されている。つまり、この時すでにイエスを裏切る心を抱いていたユダのことです。師イエスが私たちに示された模範は、ご自分を裏切る者の足をも洗い、それでも彼を愛することです。私たちはそうやってこの方が裏切られて十字架にかけられることを通して、この方こそ神ご自身だと知るのです。この師の愛を真似るよう私たちは選ばれたのです。

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