2021年7月11日「荒れ野に道を備える」

今日は饒平名丈神学生が説教を担当しました。

聖書:イザヤ書40:15b、マルコによる福音書1:1~8
説教題:荒れ野に道を備える

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さがみ野教会での奨励のご奉仕を今月より月に一度させていただくことになりました。感謝であるとともに、主の御言葉を語ることに身が引き締まる思いです。

 今回からマルコによる福音書を皆さまとともに学んでいきたいと思います。マルコによる福音書は異邦人、すなわち私たちのようなユダヤ人以外の人を想定して書かれていると言われています。本日の聖書箇所、マルコによる福音書1章3節です。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」
一方で、引用元とされるイザヤ書40章3節では、次のようにあります。
「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」その違いは直ぐにわかります。
すなわち、「どこで叫んでいるのか?」と「道を整える場所はどこ?」の部分が異なっています。マルコによる福音書の読者からすると、「それは、洗礼者ヨハネが荒野で叫び、やがて来られる救世主メシアのために準備せよ、というイザヤ預言。」と解釈するでしょう。一方でイザヤ40:3には、誰が叫んでいるのかわからず、道を備えるのは、荒れ野という場所を示しています。原典であるヘブライ語では「荒れ野で叫ぶ」のか「荒れ野に道を備える」のかどっちともとれるようなので、旧約聖書の70人訳ギリシャ語に訳された時に、鳴く声(叫ぶ声)が荒れ野から聞こえる、とされたようです。

この洗礼者ヨハネのところには、大勢の人が集まってきて悔い改めの洗礼を受けたようです。ヨハネは「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」と、後から来られるイエスを自分よりはるかに優れたお方であると明言しました。そして、その方は水で洗礼を授けるのではなく、(永遠の命とまことの救いへと導く)聖霊によって洗礼を授けるお方であるとヨハネは語ります。このガリラヤから来たイエスというお方は、後に神の子として私たちの罪の贖い主となり、聖霊による洗礼を授け、永遠の命の救いを得させるメシアである、そのことをマルコは何よりも伝えたかったのでしょう。だから「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と最初に宣言し、洗礼者ヨハネを通して旧約聖書の預言と結びつけ、イエス・キリストの生涯をグッドニュースとして語り始めるのです。イエスの十字架上の死、死からの復活の後、イザヤ書40章はイスラエルだけでなく、より広く世界へのグッドニュースとなりました。ある意味で、私たちは、現代社会という荒れ野の中を歩いているようなものです。感染力の強い病が蔓延し、人々は孤独に陥り、経済的・社会的なさまざまな苦境に立たされています。しかし、キリストの贖いと復活を信じる者は、この荒れ野で主の栄光を待ち望み、主のために道を備える働きにともに招かれています。荒れ野に道を備えるのは洗礼者ヨハネだけではありません。私たちもまた主イエスを指し示し、ここに真の望みがあることを伝えていくのです。その歩みは、簡単でなく、世の戦いは激しいかもしれません。しかし、咎を贖われた私たちは、慰めをうけ、やがて主の栄光をみる、と約束されているのです。その約束を仰ぎ見て、主の導きに従って恐れず歩んでいこうではありませんか。

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