2021年6月27日「神の命令は、命」

聖書:ヨハネによる福音書12:44〜50
説教題:神の命令は、命

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「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」主イエス・キリストはそのように宣言なさいます。主イエスを信じる人は、だれも闇の中には住んでいません。例え、私たちが今自分が闇の中にいると思い込んでいたり、絶望して光はないと信じてしまっていたりしたとしても、事実はそうではないのです。私たちの誰も闇の中にとどまることがないように、主イエス・キリストが来てくださったのです。私たちのところへ、光として!この光にあなたも照らされています。

息子が深海魚の図鑑を買いました。光がまったく届かない深海に、あのような不思議な生き物が住んでいるとは驚くべきことです。神さまは暗い海の底にこの不思議な生物をもお造りになりました。ついうっかりすると闇の中に閉ざされていると思ってしまうけれど、この魚たちもやはりすべてをお造りになった神様の祝福の光に包まれている。詩編の中にこのような言葉があります。
「闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
夜も光も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。」
闇と思っているところにも神さまの光が射しています。夜だって、神さまがお造りになったのですから。神さまの光が届かない場所はないのです。コロナウイルスだって、神さまの御手の内にあるのです。そう言われたらいやな気持ちになるでしょうか?私には、このウイルスをお造りになったことにどのような意図があるのか、その存在を許しておられることにどのような意味があるのかは分かりません。しかし確かなことは、闇も神さまご自身に比べれば闇とは言えない、ということです。そして、この世界の中で、イエス・キリストは今日も生きて働いておられるのです。私たちに光を照らすために。そのキリストの光を見る目が、いちばん大切なのではないでしょうか。

それではキリストは、この世界で、今何をしておられるのでしょうか。キリストは言われます。「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来た」、と。本当にありがたい言葉です。もしもイエス様が世を裁くために来たのだとしたら、世の不正をただすために来られたのだとしたら、私はいつ叱られるかと怯えている子どものように、ビクビクしながら生きねばならなかったでしょう。しかし主イエスはそうはおっしゃらないのです。世を救うために来た!イエス様は過去の私を見張って悪いところを探してやろうというのではなく、この私までも光に照らすために一体どうしたら良いか、と考えて、そのために働いてくださっているのです。

N.T.ライトという英国の新約聖書学者が、昨年『神とパンデミック』という本を出版しました。その中にヨハネによる福音書第9章に出てくる生まれつきの盲人の話が出てきます。弟子たちは誰のせいでこんな不幸に見舞われたのですかと、コロナの中の私たちと似たような問いをイエスに向けた。しかしイエスは、神がこの人に何をなさるのかに目を向けました。神は今働いている。50節を見ると「神の命令は永遠の命」と言っています。この命令という言葉は13:34で掟と訳されている言葉です。キリストの掟は私たちが互いに愛し合うこと。キリストがしてくださった無限の愛に応えて、愛し合うこと。キリストの愛の光に照らすために、神は今日も働いていてくださるのです。

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