2021年5月23日ペンテコステ「あなたを生かす命の息」

5月23日はペンテコステでした。毎年、ペンテコステの日曜日はさがみ野教会の創立記念礼拝として献げています。

聖書:創世記2:4b~9
説教題:あなたを生かす命の息

音声


動画




1976年5月23日、目久尻川にほど近い場所で一つの教会が生まれました。栗原伝道所。現在のさがみ野教会の前身となる小さな小さな教会です。既に2月から礼拝は始めていましたが、この日に「開所記念礼拝」を献げています。それから45年、私たちの教会は座間の地で神様を礼拝してきました。もしかしたらこの一年がいちばんの危機であったのかもしれません。私たちは、時が良くても悪くても、神さまを礼拝します。時が良くても悪くても、キリストの福音を宣べ伝えます。

今日はペンテコステ、聖霊降臨の主日です。毎年のペンテコステにさがみ野教会の創立を記念しています。しかしペンテコステはさがみ野教会のみならず、世界中の教会にとっての誕生日でもあります。ペンテコステとはギリシア語で「50」の意味で、キリストの復活したイースターから数えて50日後を指します。この日、神の霊である聖霊が弟子たちに降り、教会が生まれました。教会というのは、建物のことではありません。あるいは単にキリスト教に興味がある人のサークルでもありません。神の霊が教会を始めるのです。教会って、神様が始めたのです。45年前に目久尻川沿いで教会をお始めになったのも神様ならば、2000年前に教会を始められたのも神様。そして今日私たちを呼び出したのも神様ご自身であり、その霊である聖霊です。

聖霊は私たちの心に働きかける。私たちの神を信じる心、神様って本当にいるのかなと思う心、いるなら応えて欲しいと願う心、人を愛する心、祈る心、礼拝する心。それらは全部、神様がご自分の霊を私たちの心に送って始めた心です。だから、今私たちが神さまを礼拝していること自体が、聖霊が私たちに降り、私たちの内で働いている証拠なのです。あなたも聖霊に生かされています。それどころか、私たちが生きているということ自体、私たちの知らない内に神の霊が私の内で働いているということに他ならないのです。聖書には「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書いてあります。聖書は、私たちの鼻がしている呼吸の起原を辿るのです。生まれたばかりの赤ちゃんは泣くことで呼吸を始めます。その最初の息はどこから来るのか?神さまご自身が命の息を鼻に吹き入れたのだ、と言います。私はこの命の息が聖霊の働きだと言って差し支えないと思っています。私たちが生まれたこと、息をしだしたこと、今息をしていること、それらはすべて神の霊が息となって吹き入れられたことに始まった。だから、やがてこの呼吸が終わることも神の愛の手の中にあるし、一度も息をせずに亡くなった赤ちゃんも同じ神の霊の溢れる愛の中にあると私たちは信じることができるのです。

ですから、神さまと呼吸をかわし合うほど密な関係こそ、私たちの最高のしあわせなのではないでしょうか。今、人間関係ではソーシャルディスタンスが必要ですし、密を避けなければならない。今は必要なことです。しかし神さまとの間にディスタンスは必要ない。密のままでよいのです。神さまの息が吹きかかるほどの距離。神の命の息があなたを生かす。神さまと密に生きるとは、神さまっているのかな、信じてみたいなという心に素直になることです。フトした時に神さまを呼ぶことです。聖書の言葉に身を浸すようにして味わうことです。そこでこそ私たちは人間らしく生きるのです。

この記事へのコメント