2021年5月16日「イエスの昇天」

5月16日は饒平名丈神学生が説教を担当いたしました。

聖書:
列王記下2:8~12
ルカによる福音書24:44~53

説教題:イエスの昇天


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イエスの昇天について、ルカによる福音書24章50~51節を見てみましょう。
「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 」
 ここでイエスが祝福されたという表現が繰り返し出てきますが、どちらも同じことばが使われています。面白いことに、この祝福と同じことばが、最後の53節の「ほめたたえる」でも同じ言葉が使われています。日本語で“祝福”と聞くと“神から人間”、のイメージが強くて、“人間が神を祝福する”との表現には少々違和感があるかも知れません。この言葉のもうひとつの意味は“良い事を言う、良い言葉を話す”です。
“良い言葉を話す”のは周囲の人々にとっても、自分にとっても“良い“ことなのだと気づかされます。私は会社員の頃、毎晩のように飲みに繰り出しては、会社や上司を批判し、出世していく同僚を妬み、他と給与比較して劣等感や自己嫌悪に陥った時期がありました。いくら鋭く批判し、口汚く他人をののしっても、良き方向に変わったとか改善された記憶がありません。
その一方で、“良い言葉を話す”ことで前進したケースは多くあります。例えば、私の職場で、ある落第寸前の学生と面談した時のことです。その学生に自己評価を“良い言葉”を紙に書いて貰ったところ、彼自身が勉学に前向きになり、無事卒業できたという例がありました。
ルカはイエスの昇天を目撃した弟子たちの反応を次のように記述して、ルカによる福音書を締めくくっています。(24章52~53節)
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
イエスからいっぱい“良い言葉を貰った”弟子たちは、大喜びでエルサレムに戻ります。復活のイエスに出会った弟子達は、イエスがメシアであることを確信しました。それでも目の前にいるイエスがいなくなることに不安を覚えたことでしょう。イエスが受難された場所、イエスを十字架に付けよと主張した人々が大勢いるエルサレムに留まるようにとの指示でした。そのエルサレムでは周囲の人々からいろいろと心無いことを言われたり、軽蔑されたり、意地悪されたかも知れません。それでも“絶えず”神殿の境内にいて、神へ“良い言葉を話し続けた”のです。イエスから“良い言葉を言われた”私たちも神様へ“良い言葉を話す、ほめたたえる”ことで愛の実践、奉仕へと繋がっていけるように思います。文句を言う前に“神が与えて下さった恵みに目をとめ、感謝してほめたたえる”ことを習慣としたく祈り願います。

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