2021年4月25日「麗しき香りの満ちる家」

聖書:ヨハネによる福音書12:1~11
説教題:麗しき香りの満ちる家

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 ここはベタニア村の小さな家。イエスさまと一行は食事の席についています。そこにはラザロもいる。死の病に冒され、それによって死んでしまったラザロ。しかし、主イエスが再び命を与え、墓から甦ったラザロ。ラザロと二人の姉、マルタとマリアの一家が主イエスを食事に招いたのです。マルタはイエスをもてなしました。家の中にはマルタの煮炊きした食事の匂いが漂っていたことでしょう。するとそこに、予想していなかった新しい香りが運ばれてきたのです。ラザロのもう一人の姉のマリアが「純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ」持ってきた。そして、彼女はそれをイエスさまの足に注ぎました。この香油はとても強い香りを放つものであったようです。しかも、一リトラ。重さにすると約326グラム。比重がよく分かりませんが、水であればおよそジュースの缶一本分。それだけの量の香油を注ぎきったとすると、その香りは本当に強かったのではないかと思います。その後何日も、つまりこれから訪れる受難週の間、主イエスの体からナルドの香油が香り続けていたのではないかと想像しています。

 それにしても、一緒に食事を頂いていた人たちは驚いたことでしょう。特にイスカリオテのユダは憤慨しました。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と彼女を責めた。無駄遣いをするな、と言った。しかしこれは本当に貧しい人のことを考えていたのではなく、彼が一行の財布を任されながらその中身をごまかしていたからだ、と書かれています。ただ、ユダだけではなくその場にいた他の弟子も似たような気持ちだったのではないかと思います。少なくとも私がその場に居合わせたらユダと同じように怒ったと思います。しかし、ただお一人、主イエスだけは彼女の気持ちを、その真心を受けとめ、理解していました。イエスは言われます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」、と。

 実はこの話は、前後を見るととても緊迫した場面であることに気づきます。45〜57節は、新共同訳の表題では「イエスを殺す計画」とありますし、9〜11節は「ラザロを殺す陰謀」と書かれています。イエスさまや、イエスさまに命を頂いたラザロを殺そうとする動きが激しくなっていた。ここにはもう一つの臭いが付きまとっているのです。それは死臭です。死の臭いです。

 このナルドの香油を、マリアは本当は何のために持っていたのでしょうか。今では香水は化粧の一つです。マリアにとってもそういう意味での宝物だったのかもしれません。しかし私の想像ですが、もしかしたらラザロの埋葬ためと思っていたのか、あるいは実際にそのために使った残りだったのかもしれない。マリアはそれをラザロに命を下さった主イエスに献げたのではないかと思います。イエスさまはそこにあるマリアの真心と愛を受けとめ、この香油に新しい意味を与えてくださいました。「わたしの葬りの日のために、それを取って置いた」のだ、と。

 私たちには死の臭いは他の強い匂いでごまかすしかありません。ところが今やキリストは私たちを死の臭いから解放してくださいます。ナルドの香りをまとうイエスが十字架にかけられた今、私たちの家に満ちるのは私たちに命を与えるキリストの香りなのです。

この記事へのコメント

中瀬悦子。
2021年04月25日 16:20
私たちに命を与えて下さるキリストの香り
愛を持って新しくして下さる。感謝祈ります