2021年4月18日「生ける水の源へ」

聖書:エレミヤ書2:1~13
説教題:生ける水の源へ


音声


動画





 聖書は神様と私たちとの関係の麗しさを、とても印象的な言葉で伝えています。
  主はこう言われる。わたしは、あなたの若い時の真心
  花嫁のときの愛
  種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。
私たちは神様の花嫁。そこには花婿である神さまの絶対的な愛が絶対的に存在し、神様は私たちがどのような者であっても愛しぬいてくださいます。私は、神様と私たちとの関係は、これに尽きると信じています。私は3歳の時に初めて教会に行きました。今42歳なので40年近く教会生活を送っています。これまで、私なりにいろいろなことがありましたが、神様の花婿としての愛が私から離れたことは一度もない。私はそのことを確信しています。私は教会で、神さまを信じたらイヤな事が起こらないとか、不幸がなくなるとは聞かされてきませんでした。実際、イヤな事も辛いことも起こる。しかし、どんな時にも神の愛が消えて無くなってしまうことはないのです。

 神様が私たちと結んだ関係は、愛の関係です。新婚ホヤホヤの夫婦のような、愛の関わり。語り合うこと、信頼すること、一緒に歩むこと。愛するというのはそういうことであると思います。イスラエルの人たちはかつてエジプトの国で奴隷にされていました。しかし神様がモーセという人を使わして、イスラエルの人々をエジプトから救い出し、約束の地、現在のパレスチナに導き出してくださいました。そのためにエジプトを出た後40年間、荒れ野で旅をした。神を信じる旅は荒れ野を通るのです。しかし、その荒れ野で、神様とイスラエルの人々は愛の関わりに生きていた、と言います。これが大切なのだと思います。今の私たちの環境や現実、境遇、それが幸福なのか不幸なのか、良い地なのか荒れ野なのか。それも大きなことですが、もっと大事なことは、私たちはその現実の中で神様との愛の関係に生きているか、ということです。

 イスラエルの歴史を見ると、荒れ野の旅を終えて約束の地に入り、やがて国をつくり、豊かになるにつれて、彼らは神を捨てました。神様との愛の関わりを裏切り、神様と共に歩むのをやめて土着の偶像の後を追うようになったのです。
  お前たちの先祖は
  わたしにどんなおちどがあったので
  遠く離れていったのか。
もちろん、神様に落ち度はない。どんなときにも変わらずに花婿としての愛を向け続けてきた。それなのに、人々は神を捨てて空しいものの後を追い、自分自身を空しくしてしまいました。

 預言者エレミヤは、偶像を「空しいもの」と呼びます。何が空しいのか?そんな神なんて存在しないから空しいのか、私たちの願いを叶える力がないから空しいのか?それよりも、愛する力がないという空しさだと思います。偶像は人間の願望が造り上げます。だから、農耕の神、開運の神、疫病退散の神など、いろいろな顔を持つ神々が生まれる。人間は自分の都合に合わせてそれを拝み、自分の都合に合わせて利用し、やがて捨てます。そこには愛がありません。神が人に向ける愛が消えています。ところが主なる神様は何と言われるか?「主はどこにおられるか」と、あなたたちはどうして問わないのかと言われるのです。私たちに神を呼び求めろと言われるのです。神様は私たちを愛し、私たちの愛を求めておられます。だから、生ける水の源である神様の愛の中へ帰っていきましょう。

この記事へのコメント