2021年3月21日「この病気は死で終わるものではない」

聖書:ヨハネによる福音書11:1~16
説教題:この病気は死で終わるものではない

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 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」(14〜15節)

 主イエスは実にしばしば驚くようなことを言われます。およそその場、その時に似つかわしくない。主イエスはあまり空気を読むようなことはなさいません。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。」ラザロというのはイエスさまの友達です。イエスご自身がラザロを「私たちの友」と呼びます。彼は病気だった。重い病気だったのでしょう。ラザロの姉のマルタがイエスに助けを求めた。「あなたの愛しておられる者が病気なのです」と。しかし、イエスさまはなかなか腰を上げて、ラザロがいるベタニア村に行こうとしない。報せを受けてから二日間も動こうとしなかった。そして、遂に言います。「私たちの友ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く。」弟子たちはそれを聞いて、ラザロは病気のために寝ている、それを起こそうとイエスが言われたのだと思い込みます。しかし、そうではない。事態は更に進んでいることをイエスは知っていた。だから、言うのです。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」

 この後実際にベタニア村に行くと、そこにはラザロの二人の姉、マルタとマリアが泣きながらイエスの到着を待っていました。二人とも、口々に、どうしてもって早く来てくださらなかったのかとイエスに詰め寄ります。当然です。私たちにもよく分かる。同じ問いが私たちの口にも出てくるからです。どうして、神様はコロナを早く治めてくださらないのですか、イエスさまあなたは一体何をしているのですか?私たちだって同じように問うています。

 イエスさまはおっしゃるのです。ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」日本語訳では少し婉曲的な訳し方をしている気がします。「あなたがたにとってよかった」の部分は直訳すると「私はあなたたちのために喜んでいる」です。ラザロが死んだ時、その場に居合わせなかったことを、あなたたちのために私は喜んでいると言うのです。そんなことを言われてしまうと、ショックです。しかし、これは今この時代に、教会はどういう言葉を語っているのかというイエスさまからの問いであるような気がします。主イエスは私たちの一番深い悲しみの時にも、「喜ぶ」と言うことをやめません。私たちへの祝福の言葉を取り消してしまわないのです。なぜか?私たちが信じるためです。確かに奇跡的な仕方でコロナウイルスが消滅することはありませんでした。それは私たちが信じるためです。何を?「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。」この福音書で「栄光」とは十字架のときのこと。主イエスが愛する友のために十字架にかけられ、愛しぬいたことを私たちが信じるために。禍の中でキリストの確かな愛が輝いています。

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