2021年2月28日「主はそのかいなに小羊を抱き」

聖書:ヨハネによる福音書10:22~30
説教題:主はそのかいなに小羊を抱き


音声


動画



 イエス・キリストは優しい方です。本当に優しい、私たちの羊飼いです。聖書には神様と私たちとの関係を羊飼いと羊の関係になぞらえているところがたくさん出てきますが、特に私が好きな言葉がイザヤ書に登場します。「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」羊飼いである主イエスさまは、小羊である私たちをその腕で抱き、ご自分のふところに抱きかかえてくださいます。

 我が家の子どもたちは、今よりももっと小さい赤ちゃんのころは抱っこをしないと眠りませんでした。抱っこをして子守歌を歌うと安心して眠ります。もっとも、子守歌は私ではあまり上手くいきませんでしたが…。主イエスは私たちを小羊として抱きかかえ、その御声を聞かせてくださる。私たちはその手の温かさとその声に安心をして平和に生きることができる。

 ところが、ユダヤ人たちは言います。「いつまで、私たちに気をもませるのか。」この「私たちに気をもませるのか」という言葉は、英語の翻訳ではkeep us in suspenseとなっていました。サスペンスというと探偵もののドラマか何かにも使われる言葉ですが、宙ぶらりんで不安、どっちつかずといった意味です。「気をもませる」と訳されている単語は、元のギリシア語では「持ち上げる」という意味です。イエスさまに持ち上げられている。抱っこされている。しかし、安心できないのです。その抱っこは不安でしかない。いつ落とされるか分からない、おちおち眠ってはいられない。自分を抱きかかえていてくださるイエスを信頼できないから、安心できるはずの抱っこがサスペンスになる。

 ちょうど一年前に今頃、コロナのために社会の不安が高まっていました。トイレットペーパーが買い占められ、店先からマスクが消えました。最近ではそういう意味での必要なものは手に入るようになりましたが、不安やイライラは地中のマグマのように見えないところを漂っています。先日は地震もありましたし、異常に暖かい冬は早くも終わろうとしています。なんとも不安で落ち着かず、考え始めると怖い毎日です。「いつまで、私たちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」それは、わたしたち自身の言葉なのかもしれません。イエスさま、あなたには私たちを助ける気があるのですか、と。

 主イエスは言われます。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」私たちはこの言葉を一体どこで聞いているのか?イエスさまの腕の中です。私たちは、今もう既にイエスさまの腕で抱きかかえられているのです。ブルームハルトという牧師がこんな祈りを残しています。
「愛しまつる在天の父よ、我らは感謝します。あなたはわれらの心にふれてくださいます。そしてわれらはこう言うことができます。『われらはあなたの子です。われらの不安や、禍や、心配や悲しみの中にある時も、あなたはわれらを幸いとしてくださいます。あなたは正しいみ手に我らを支え、ついにはいっさいの禍から解放してくださるであろう』、と。」
そうです。永遠に、キリストは私たちの羊飼いとして私たちを禍から守ってくださいます。キリストの手、神の手から私たちを奪い取ることができる者はいません。神様は私たちを尊くご覧になってくださって、私たちをその手でしっかりと抱きしめてくださいます。

この記事へのコメント