2021年1月3日「ここに愛があります!」

2021年最初の日曜日の礼拝の説教動画です。
1月6日までがクリスマスシーズンなので、1月3日がその最後の日曜日になりました。

新しい年、神の祝福があなたにありますように。

聖書:ヨハネの手紙一4:7〜16
説教題:ここに愛があります!

音声



動画



 「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」新しい年が明け、この2021年の最初の日曜日に私たちが聞く聖書の御言葉は、これです。神は愛です!聖書はそう宣言します。まさに宣言です。神は怒っています、神の罰が降ります、神は無慈悲です、神はあなたになんて関心がありません…。聖書はそのような宣言をしません。神は愛です。しかも、この愛は、「わたしたちに対する神の愛」です。あの人ならば神さまに愛される資格があるだろうなと思える人や、確かに祝福された人生を生きているなと誰もが思う成功者のことを言っているのではないのです。この私を、あなたを、神は愛している。それが聖書が宣言するイエス・キリストの福音です。

 今は社会全体がたいへんな状況下にありますので、今年はとても「明けましておめでとう」と挨拶する気になれないと言っているのを聞きました。確かにそう言いたくなる気持ちも分かります。今年に限らず、私たちには「おめでとう」という挨拶をとてもする気になれないということはいくらだって起きます。しかし「おめでとう」というのは祝福の言葉です。相手に祝福を届ける言葉です。そして、神さまの祝福、神さまからの「おめでとう」はどんな時にも差し控えられてしまうことはあり得ないのです。だから、聖書は「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています」と言います。信じられないときにこそ、信じることが尊いのではないでしょうか。

 今、私たちの社会は、明らかに加速度的にデタラメになっています。子どもたちが大人になったとき、一体どうなっているのか。大晦日の夜、紅白歌合戦を見ました。眠い目をこすりながらテレビを見て、なんとも奇妙な気持ちになりました。そこで語られている言葉が過度に美しすぎると思いました。例えば、家族の絆のようなことを強く訴えていた。しかし私たちの記憶に新しい出来事を考えるだけでも、ステイホームと言われた日々、ホームが安全な人ばかりではありませんでした。ホームが物理的にも精神的にも危険な人もいました。テレビを見ながら、美しい言葉で覆い隠されているものは一体何だろうと考えました。

 昨年印象的だった言葉はいくつもありますが、4月7日付で、私たちカンバーランド長老教会の当時の唐澤中会議長が、多くの教会が礼拝堂での礼拝を休止した事態を受けてのメッセージを出しました。私たちが過度に恐れるなら、それは悪魔の攻撃ではないか。マスクやトイレットペーパーを奪い合って大人たちが喧嘩をしている。主イエスは「多くの人の愛が冷える」(マタイ24:12)と言われたが、その通りではないか。そのような内容のことが書かれていました。今問われているのは私たちの愛なのです。

 私たちは恐れを乗り越えて、互いに愛し合うことで悪魔に対抗します。愛するというのは、それこそ言葉は美しくても実際には難しく、幾度私たちは愛の挫折を味わってきたことでしょう。だから、聖書はイエス・キリストを与えてくださった神の愛に帰ろうと訴えます。ここに愛がある。そこからしか出発できない。キリストの愛に私たちを満たして頂きましょう。私たちも新しくなれるのです。

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