2020年10月25日「上から下への突入 〜キリストはあなたと共にいる!〜」

聖書:ヨハネによる福音書8:21~30
説教題:上から下への突入

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 私たちにはいろいろな毎日の労苦があります。労苦の中で、私たちには聖書を通して語りかける主イエスの御声が聞こえなくなってしまうことがあります。例えば、今日の聖書の中で言えば、21節と24節で3回も繰り返される「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」という言葉です。あるいは、21節では更に続けて「わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない」と主イエスは言われます。正直なことを告白すれば、私は戸惑いました。あまりに厳しいこの言葉をどう聞けば良いのか、分からないからです。主イエスの声を聞いているはずなのに、聞けていないのです。その場にいたユダヤ人も明らかに戸惑っています。この人は自殺でもするつもりなのかと話し合いました。端から見るとかなりとんちんかんな反応ですが、私には笑えません。イエスの言葉が聞けていないという点で、私も同じだからです。毎日のことでいっぱいになって、私はイエスの言葉を虚心坦懐に聞けていないのではないかと思います。そうであるならば、そのようないろいろな労苦を負う私たちがキリストを信じる、神を信じるとは、一体いかなることなのでしょうか。

 「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」この言葉は、実は第13章の主イエスの言葉と共に聞くべきものです。特に33節。主イエスは弟子たちに言われます。「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。」すると、ペトロが問う。「主よ、どこに行かれるのですか。」それに対し、イエスはペトロが鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うであろうとおっしゃる。明らかに、イエスは十字架の話をしておられます。主イエスがこれからいかれる場所というのは、十字架の上です。十字架に上げられる。そこには誰もついていくことができない。イエスは一人でそこに行かれる。

 更に読み進めて第14章に入ると、それは私たちのためだということが明かされます。父なる神さまの御もとに私たちのための場所を用意しに行くのだ、と言われる。そして、主ご自身がそこへ行くための道となってくださり、真理と命の道であるこの方を通って、私たちも父の御もとに行くことができる。そのために、私は去って行くのだ、とイエスは言われたのでした。私たちが抱えている毎日のいろいろな労苦。それは突き詰めて考えると、死の問題に収斂すると思います。私たちは如何に死ぬのか?この人は自分の罪のうちに死んだと言われなければならない私たちであるのかもしれません。しかし主イエスはそんな私たちのための場所を準備してくださいます。

 そして、「あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」と言うとき、主イエスはそれを望んではおられません。24節を見ると、だから「わたしはある」ということを信じてほしいと言われます。「わたしはある」は元は出エジプト記3:14に出てくる神のお名前です。文脈からこの言葉の意味を考えると「私はあなたと共にいる」を意味します。私たちは自分の罪のうちに死ぬべき者。しかしキリストはそういう私と共にいてくださるのです。

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