2020年9月27日召天者記念礼拝「命の競争」

聖書:マタイによる福音書28:1〜15
説教題:命の競争

音声


動画

*聖書朗読と説教の間に召天者名簿を朗読しましたが、この動画ではプライバシー保護の観点から削除してあります。


 今日は召天者記念礼拝です。既に生涯を終えて亡くなった方たちを覚えて、礼拝を献げています。召天者名簿が週報に挟み込まれています。逝去した教会員や教会として葬式を行った方たちが中心になってお名前が記されています。私が司式をした方もおられます。お名前に触れるだけで懐かしい思いがこみ上げてきます。しかし、多くの方には私は直接お目にかかっていません。それでもこの教会で信仰生活を共にした皆さんや、ご家族から、いろいろなかたちで思い出を聞かせて頂いてきました。一人ひとりの物語があります。教会という信仰共同体が、そういう一人ひとりの物語を想起しながら、一人ひとりに命を与え、人生に関わり、祝福を与えてくださった神さまを礼拝するということは尊い意味がある営みであると信じています。

 7節に、天使が「あの方は死者の中から復活された」と言っていると書かれています。あの方というのはもちろん主イエスです。主イエスは死者の中から復活された。私は「死者の中から」という言葉が今回とても心に残りました。死者。それは今私たちが覚える私たちの愛する者のことであり、やがて私たちもその一人に数えられることになります。キリストは死者の中から復活した。それは、この方が私たちが味わうのと同じ死を味わった、ということです。私たちと同じように死んで、そして復活したのです。

 聖書には「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」という言葉があります。キリストが死者の中からの初めての実りとして復活をした。初穂だということは当然次の穂も実る。私たちもやがてキリストと同じように死から復活する日が来ると聖書は約束します。ドラクロワの描く「民衆を導く自由の女神」で先頭に立つ女性のように、キリストが死の奴隷であった私たちを解放し、先頭に立って自由に向かって導き出してくださるのです。

 ですから、キリストの復活という事件が、すべての始まりです。しかしマタイ28章が物語っている復活の出来事は、私たちの興味を必ずしも満足させるものではありません。二人の女が墓に行った。天使が墓の石を転がした。天使はイエスが復活したと告げ、女たちは弟子たちに知らせに行こうとすると、イエスが彼女らに出会った。それだけです。もしも新聞に「イエス、復活する」という記事を書くとしたら、情報量が足りなすぎます。例えば、天使が蓋を開いた墓の中はどうなっていたのか、イエスが復活したというのは何時なのか、肝心のイエスは今どこにいるのか。そういったことは書かれていない。他方で、時の権力者はすぐに行動を起こしました。墓が空になったのは、昨夜弟子たちがイエスの遺体を盗んだからだと番兵たちに嘘の証言をさせた。しかも当時のユダヤ社会では女性の言葉には証言能力が認められていなかった。番兵の証言は具体的で、権威もある。イエス復活の知らせには証拠もなく、結局は女の戯れ言にすぎない。そういう構図です。

 しかし、イエス復活という命の知らせと、それはフェイクだと強弁する権力者の知らせの競争。それは、命の知らせの弱々しさにもかかわらず、女たちの口に託された天使の告知が勝ちました。神が私たちに告げたイエスの命による祝福が消えてしまうことはあり得なかったのです。

この記事へのコメント