2020年9月20日「マイムマイムを踊りながら」

聖書:ヨハネによる福音書7:37〜39
説教:マイムマイムを踊りながら

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 「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日」の出来事です。一週間続いた仮庵の祭りがクライマックスを迎えていました。この祭りでは、こんなことが行われていたそうです。祭司が神殿の丘を降り、シロアムという池に水を汲みに行く。黄金の鉢で水をすくい、水の門と呼ばれるところから入って神殿に戻る。大祭司がそれを受け取り、神殿にある犠牲を献げる祭壇に水を注ぐ。笛の音が鳴り、喜びの声が上がる。マイムマイムというダンスがあります。「マイム・マイム・マイム、マイム・ベッサッソン」という歌詞は実はヘブル語です。意味は「水、水、水、水を喜びにうちに」。マイムマイムはイザヤ書12:3の「あなたたちは喜びのうちに/救いの泉から水を汲む」をそのままとって曲を付けたもの。マイムマイムは新しい歌ですが、ここで祝われている仮庵祭も水を汲む喜びの祭りです。

 元々これは「仮庵」というとおりに仮小屋、テントの祭り。かつてエジプトを脱出したヘブル人たちが40年の荒れ野の旅をテント住まいで過ごしたこと、その間神が守ってくださったことを記念する。その40年の荒れ野での重要なインフラの一つは、まさに水です。荒れ野でどうやって水を手に入れたら良いのか。出エジプト記17:6を読むと、神が岩から水を湧き出させたとある。仮庵祭で水を注ぐのは、神がテント住まいの旅路にあっても水を与え、私たちを生かしてくださったという記憶を継承する意味があったのでしょう。神の御業を想起し、喜びをもって水を汲むのです。いかなる気候下でも変わりません。人間には水を造り出すことはできない。雨に頼っています。私たちは渇きを潤すための根本的な力を持たない。渇きには私たちの人間としての根本的な弱さが映し出されます。自分の力ではどうしようもない。それは肉体の弱さだけではない、魂の渇き、霊の渇き、心の渇望を私たちは一体どうしたら良いのか?

 主イエスは言われます。「渇いている人はだれでもわたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」すごい言葉です。主イエスは水について話したのではない、どこに行けば良いのかという情報の話でもない。わたしがあなたに飲ませよう、という宣言です。わたしがあなたの渇きをいやす命の水を飲ませようと言われるのです。イエス・キリストが生きた水をくださる。
 イエスがくださる水を飲むというのは、イエスを信じるということです。そしてイエスがご自分を信じる者に飲ませる水は、ご自分の霊のことだと聖書は言います。霊とは何か。心も体も含めたその人の全存在と言っても良いと思います。新約聖書が書かれたギリシア語でも、旧約のヘブル語でも、霊という単語には「息」という意味もあります。イエスは私たちに命の息を与える。主イエスの命そのものを信じる者に下さる。

 今、とても辛い時期です。私たちの肉体の弱さ、心の弱さを痛感させられます。だからこそ、信じることの尊さを思います。イエスを信じて「助けて」と祈って良い。病気にはなるかもしれない。しかし私たちは喜びのうちに水を汲み、イエスご自身の命によって生かされる。湧き出た水は私たちばかりでなく、周囲に生きる者たちをも生かすすばらしい生きた水の大河となるのです。

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